小説

『白い影』和織(『影のない犯人』)

「ほら、母さんは結構堅実なタイプだっただろう?お前だって、九年間あの人に育てられていなかったら、こんなにしっかりした人間にはならなかったんじゃない?あの家には、金が在り過ぎた。守らなければならないものを、うやむやにしてしまうくらいに。いや、違うのかな。母さんが、金で物事をうやむやにできない人だったのか・・・・・」
 兄はいつの間にか、妹の見たことのない表情で話していた。てっきり今日は、遺産のことで、自分の分をもっと融通しろだとか、そんなことを言われるものだとばかり思っていた。それなのに、見当違いの全くわからない話をする兄に、妹はすっかり拍子抜けし、動揺した。
「・・・・・だから、何だって言うの?今更そんなことを話して、何か意味がある?」
「俺だってさ、父さんが死ぬまで、こんな風には考えなかったけどね、何て言うのかな・・・・・あの人のことを、誰も、大して気にしなかっただろう?死ぬのを、みんなただ、ほおっておいたんだ。病気になったのに、なかなか治療を進めなかった。花子さんは医者になんだかんだ言いがかりをつけて、もっといいお医者様を探しましょうって、そうしてるうちに、病状が悪化して、でもそれをたしなめる人間はいなかった。みんな長年父さんに仕えてた筈なのに。そして俺たち子供も、傍観してて、最後には父さんが自分で延命治療を拒否して、あっさり死んだ。考えてみると、殺されたみたいな死に方だけど、誰も誰のことも責めない。金の欲しい人間がただ、父さんが死んだという事実にしっかりしがみついてる」
「・・・・・ねぇ、本当にさっきから、何が言いたいの?」
「もしかしたら父さんは、母さんがいなくなってから、周りがこうなるように、わざとああいう風に生きていたんじゃないか、ってさ」
「ああいう、風?」
「いつも静かで、人と衝突せず、何を言われても声を荒げす、淡々と生きてた。無個性で、無難で、何も、誰のことも気にしなかった。本人が気にしない分、父さん自身のことも、気にされなくなっていった。病気になったとき既に、自分の死に方すら予想してた」
 妹は、返す言葉を失った。無意識に、ゆっくりと首を傾げていた。兄はそれに対して、肩を竦めた。
「父さん、趣味の時間だけは絶対に譲らなかっただろう?若い頃の道楽をさ、大人になってもずっと続けて、でも、あんなにたくさんあったのに、自分が描いた絵や作ったものを、生きてる間は決して人に見せなかった。自分の居場所を、本心を、いつからか、誰にも明かさなくなった」
 兄はそう言ってから妹の返事を待ったが、彼女は既に戦意を喪失していて、返事をする余裕はなさそうだった。その表情は、懐かしい顔だった。ああ、妹だ。と思い、少し笑ってしまった。

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