小説

『賢女たちの贈り物』町並知(『賢者の贈り物』)

「こんなに遅くまで仕事か?」
「ううん、友達と会ってた」
「そうか」
 一緒に暮らしてた頃から、私はおしゃべりな母とばかり話していた。1年前に母が亡くなるまでは、父が私に電話してくることなどなかった。
「いつこっちに帰ってくるんだ?」
 世間話ができない父は、いつも直球を投げてくる。
「母さんはもういないんだ、仕方ないだろう。お父さんの食事の世話や洗濯掃除、農業の手伝いをしてくれたら、お前を養えるくらいのお金はある。何年かしたら、知り合いの中から嫁ぎ先を探してやる」
 残っていたアルコールのせいもあり、早紀はずっと心にあった思いをぶつけた。
「せっかくがんばって勉強して大学まで行ったのに、農業をするの? そしてどこかに嫁いでただの奥さんになるの?」
「じゃあお前の会社は、一生お前を養ってくれるのか?」
 早紀は契約社員だった。出版不況の波は例外なく早紀の周りにも忍び寄り、来年3月で契約が切れる。そうなのだ。もう結論は出ている。
 早紀は、今日舞にもらった革製品お手入れセットを見つめる。
 ――舞、ごめんね。これは私には必要ないの。靴やバッグのお手入れをしたって、田舎ではおしゃれをして行くところなんてないんだから。

 あれから3年後のクリスマス。いつものレストランには早紀と舞の姿があった。食事を楽しみながらも、2人の会話はよどみなく続く。
「いろいろあったわね」
「ほんと、いろいろあった」
 毎年続けてきたクリスマスの食事を2回キャンセルするくらい、忙しかった3年間だった。早紀にとっても、舞にとっても。
 早紀は、契約が切れた会社を去り、父の言う通りに実家に戻った。これからこの田舎で連れ合いを亡くした父と2人、暮らしていくのかと思うと気分が塞いだ。そんな時に見つけたのが、あるフリーペーパーだった。その表紙のレイアウトを見たとき、早紀は目が惹きつけられた。早紀は今まであらゆる雑誌のレイアウトを見てきた。その早紀が一目で分かった。このレイアウトはきちんと基礎を学び、相当な経験も積んだ人間が作っていると。何もかも古くさい実家のテーブルの上で、その表紙だけが輝いて見えた。父に聞くと、この辺りのお店を紹介する地元紙で、駅やスーパーなどで手に入るものらしかった。中身もすばらしく、情報をやみくもに詰め込んだよくある情報誌ではなく、一本筋の通ったテーマがあり、そのコンセプトに合う店だけをセレクトしてある。写真の配置もコメントも洗練されていた。こんな雑誌をつくる編集者に会ってみたい、単純にそう思った。早速背表紙に書いてある住所を訪ねた。30歳代くらいの男性が丁寧にお茶を淹れてくれたのだが、なんと彼が編集長で1人でやっているそうだ。美大で学び出版社に10年勤めた後、地元に帰ってきてこの雑誌を立ち上げたとのこと。早紀がレイアウトを褒めると「いや、見様見真似で」と、謙虚すぎる答えだった。あのクオリティを一人で? 毎月? どうやって? いろいろ話しているうちに、何だかわくわくした。早紀は自身も編集者だったことを明かし、ここで働かせて欲しいと申し出た。

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