小説

『幸せな泡』中村久助(『人魚姫』)

 流れに身を任せてぷくぷくたゆたっていると、懐かしいけれど、悲しげな歌声がきこえてきた。
 姉の一人が、涙を流しながら歌を歌っていた。よく姉と一緒に歌った歌だった。姉の弱々しい美しい歌声が、寂しく響いていた。
 私が足と引き換えに声を失った時、姉は誰よりも悲しんでいた。人魚の歌声は美しく、美声に聞き惚れた舵取りの手元を狂わせ船を沈めてしまうと言うが、私も姉ももともと歌が得意ではなく、そのせいで笑われることもあった。だから私と姉は一緒にたくさん歌を練習した。
 私と姉の歌声を誰も笑うことができなくなったころには、私と姉にとって、歌声よりもその日々がとても価値のあるものとなっていた。姉と一緒に歌うのは、とても楽しかった。
 だからこそ、姉の悲しい歌声をきくのは辛かった。
 お姉ちゃんには笑っていてほしい、とぶくぶくとしてみたけれど、姉にはうまく伝わらなかった。
 私は、昔のように姉と一緒に歌うことにした。
 姉の歌声に合わせて、私はぶくっぶくっと、姉と一緒に歌うように、リズムを取った。悲しい歌声に、少しずつ楽しい笑いが混じっていき、姉は泣きながら笑い出した。
 私が歌っていることに気付いたかどうかはわからないけれど、誰かが一緒に歌っていることには気付いてくれたと思う。

 私は水面にぷくぷくと上がった。
 姉の一人が、岩礁に顔を突っ伏して泣いているのを見つけた。よく姉と、空を見上げながら、海の外の世界の話をした。いつか人間と仲良くなりたいと言った私を、彼女だけが応援してくれた。水面にうつる太陽のキラキラがとても綺麗で、希望に満ちた私の心を映し出しているようだと、姉はよく言っていた。
 姉は、私のせいで、自分を責めているのかもしれない。
 私はお姉ちゃんのおかげで救われてたよ、とぶくぶくしてみたけれど、姉にはうまく伝わらなかった。
 私は姉の周りでたくさんぶくぶくして大きく水しぶきを上げた。姉は水しぶきに驚いて顔を上げた。私は姉に太陽のキラキラがよく見えるようにもっとぶくぶくした。姉は、困ったような顔で、少しだけ笑った。
 私が幸せだったことを思い出してくれていたらいいなと思う。

 私はぷくぷくと浜辺へと泳いだ。
 王宮が近くにあるけれど、王子に会いたくて浜辺に向かっているわけではない。
 姉の一人が、王子を許せなくて、よく浜辺で王宮を見つめているのを知っているからだ。
 浜辺に着くと、やはり姉が王宮を睨みながら泣いていた。姉の悲しみと怒りが、涙として止めどなく流れているようだった。
 そんな気持ちにさせてごめんなさい、とぶくぶくしてみたけれど、姉にはうまく伝わらなかった。
 私はぶくぶくして、波と一緒になって姉の涙を何度も洗い流すのだけれど、姉の涙は止まらない。
 だから、私は姉の気がすむまで、一緒にいる。

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