小説

『Tokyo山月記』両成敗(『山月記』)

 そっと内田真を観察する。やや脂肪過多。不健康な肌の色は、どれだけ外界と接触を経っているかをうかがわせる。上下の黒いスウェット姿。無精髭。一重の薄い目は、かすみがかかったように曇っている。彼はどれだけ、家族以外の者と接していないのだろう。
「こんにちは。お会いできて本当によかった。私は国分寺市役所のケースワーカーの三ノ輪です」
名刺を差し出すと、真は片手で受け取った。やっぱり逆剥けが気になる。帰りにドラッグストアに寄ろう。
「ご気分はどう?」
 返事はない。
「何か、自分の体や心に変わったな、と思うところがあるかな?」
表情の変化もない。まるで、壁のアイドルのポスターと同じ。無機質。
 真の様子をそれとなく観察する。まだ、獣化の症状は見受けられない。ただ、引きこもる患者にありがちな、生気のない目が心配だ。見た目は人間だが、身体の中では着々と獣になる準備が進んでいるのかもしれない。
 無機質な青年が口を開く。
「僕の内臓はぐずぐずに溶けている」
 湿った玉を転がすような声。私の心を読んだような言葉に、内心少しだけ動揺する。けれど、もちろん顔には出さない。
「微かな耳鳴りも前兆だよ」
 内省的な禅問答が好きなの? じゃあ付き合ってあげる。
 彫像のような青年は抑揚のない声で言う。
「『狭い門から入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い』……」
「……『命に到る門は狭く、その道は細い。そして、それを見い出す者が少ない』。マタイ伝ね。あなた、クリスチャン?」
 会話ができる。これは、良い予兆かも知れない。人間らしい心があれば、獣になる事はない。少なくとも、すぐには。
 長い間窓を開けてないのだろうか。部屋の空気は淀んで湿っぽい。せめて、窓を開ければ気分がいくらかいいのに。
「人と会うのは苦手? あのね、10代から20代の子で、集まっておしゃべりをする会があるの。楽しいから、もしよければ。これ、パンフ。見るだけでもいいから」
 市役所では、学業も仕事もなく、外界と接点をなかなか持てない若者向けの集まりを、定期的に行っている。内容は、ゲームだったり、お菓子を食べながらのおしゃべりだったり。要は、何でもいいのだ。外に出て、誰かと喋るだけで、社会復帰の第一歩になる。
「人はどこから来て、どこへ行くのか。考えた事はある?」
 真はガラスのような目で問いかけてくる。また問答ね。付き合ってあげようじゃない。
「ゴーギャンか。じゃあアインシュタイン。『一見して人生には何の意味もない。しかしひとつの意味のないということは有り得ない』」
「サルの群れでも陰湿ないじめはある。イルカも自殺する。人間だけが特別だという考え自体が、すでにおこがましいんだ」

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