小説

『死のうと思っていた』ノリ・ケンゾウ(『葉』太宰治)

「早くオサム君の小説が読みたいよ、いつ文芸誌に載るんだい?」
「ああ、そうだね、僕も早く発表したいんだけれど、担当の編集と意見が合わないところがあって揉めててね」
「そうか、僕には考えられない次元の話だ」
「でもね、赤井君ももっと頑張れば、才能が開花するかもしれないよ」
「そうかな、僕には才能がないから。ひたすら書くことを頑張ることしかできないよ」
「いいやでもね、僕には羨ましいよ。僕の場合はね、才能に振り回されてしまって、何にも書けなくなるときがあるから……」
 言いながら、僕はなんだか泣きそうだった。単純に赤井君の才能が羨ましかったというのもあるし、純真な赤井君を騙していることに罪悪感をおぼえたというのもあったかもしれない。駄洒落もまったく浮かんでこなかった。赤井君への僕の精一杯の虚勢の言葉は、酒の入ったグラスの中で氷がカランと音を立てたのと同時に周りの喧騒の中に溶けていくようだった。僕は自分があまりに惨めに思えて仕方なかった。
 この辺りから、さらに僕の記憶は朧げになっていき、これのどこからどこまでが現実に起きたことで、どこからどこまでが酩酊した頭の中で生まれた虚構なのかが分からない。とにかくハイボールを沢山飲んだ。いつも僕と赤井君が一緒に飲むときは、ハイボールばかりを飲む。行きつけの居酒屋の名物がハイボールで僕らが通う大学の学生であれば一杯百円で飲むことができるのだ。それで僕らはいつものように、水を浴びるようにハイボールを口から流し込み、乾いた喉を潤した。ぐるぐると眩暈がくると、段々と僕は悪態をつき始める。しかし僕はたしかに赤井君と話していたはずなんだが、ぐるぐると回る視界のせいで、誰と喋っているのかも最早分からなくなっていたように思う。むしろ話し相手は、赤井君じゃなかった可能性すらある。混濁する意識の中、僕は呂律が回らない口で、興奮したように話し始める。あーもうね、だめだよ、今に売れてる小説はくそばっかりだ、もーくそばっかり。そんなことはないんじゃないの。いいや赤井君、君は何にも分かっちゃいないよ、僕は嘆いているさ、嘆きながらね、匙も投げちゃった、はは、だって本屋に沢山並んでいる本はね、帯を見るだけでそれがどんな作品なのか分かっちまう、あんなんはくそだ、本物の小説はね、読んでも読んでも、それがどんな話なのか説明できないもんなんだよ、ほんとにね、みんなまったくセンスがないよ。じゃあオサム君にとって面白い小説って、何さ。面白い小説? それは……言えないよ、赤井君ね、その質問は野暮ってもんだ、まあ強いて言うなら、やっぱりロマンスだよ、ロマンス。またロマンスかい。そうだよ、ロマンス、口に出したらなんだか楽しくなるよ、赤井君も言ってごらんよ、ほら、ロマンス。悪酔いが過ぎるよオサム君、ロマンスでもなんでもいいから、気を取り直してよ、机に突っ伏してちゃあ帰れない。ダメだよ、ロマンスが大事だ、ロマンスと駄洒落がなきゃあ、僕は死んだも同然だね。はは、オサム君、君がロマンスの何を知っているの。え? ロマンスってのは、恋だよ、オサム君、オサム君は恋をしたことがないでしょ。おいおい、どうしてそんなひどいこと言うんだよ。僕は何でも知っているからね、オサム君のこと。え、なんだって?赤井君ね、僕だってロマンスの一つや二つ……。ないでしょ、ねえオサム君、君は出鱈目を言うことだけは本当に好きだね、僕知ってるんだよ、オサム君は小説でも書いてみたらいいんじゃないか?嘘がうまいから良く書けるかもしれないよ。 嫌だ嫌だ、僕が小説を書くってことはね、死ぬってことだよ、僕は死ぬために小説を書くんだから。じゃあ死ねばいいのさ、僕が手伝うからさ。

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