小説

『おまけ人生』太田純平(『警官と讃美歌』)

 無職で何が悪い。そう開き直ったところで風は冷たい。もうじき冬である。時田拓朗は高校を卒業した後、ろくに進学も就職もせず、シナリオライターを志した。毎日書く。その目標はいつしかバイトバイトの日々に埋もれ、年だけ食った。金だけは貯まったかというと、そうでもない。物書きたるもの色んな職を経験すべし。そう思い込んで、猫の目の如く仕事を変えた。低所得者のくせによく飲みにもいった。通勤が面倒だからと毎回職場の近くに引っ越したせいで、引っ越し貧乏にもなった。週六で働いているはずなのに貯金が増えない。シナリオを書く時間も無い。あっという間に三十路を過ぎて、気付けばホームレスになっていた。執筆の為にとバイトを辞め、毎日図書館に引き籠もっていたら貯金が底を尽き、一人暮らしのアパートを追い出されてしまったのだ。
 時田は横浜駅前にある商業施設の外壁で震えていた。昨晩は急備えの段ボールハウスに籠城してみたものの、タクシー広場から吹きつけてくる肌寒い風には抗しきれなかった。いっそのこと刑務所に入ったほうがマシだな。時田は臭い飯を食う決意をした。当座は冬場だけ凌げれば良いから、捕まるなら無銭飲食か窃盗、その辺りだろう。
 今日も無為に日が暮れた頃、時田は実家ともいうべき商業施設内に足を踏み入れると、メンズのアパレルショップから、グレーのパーカーを一着万引きした。逮捕される予定で盗んだはずなのに、サッと入ってサッと盗んだ。捕まりたくないという本能が人間にはあるのかもしれない。とはいえ、天網恢々疎にして漏らさず。すかさず二人組の警備員がこちらにやって来た。きっと防犯カメラにバッチリ映っていたのだろう。時田は覚悟を決めたように立ち止まると、彼らに見せつけるように商品タグを引っこ抜いて、盗んだパーカーをこれみよがしに着てみせた。ところがだ。早足でやって来た警備員らは時田の脇を通り過ぎると、そのまま通路の奥へと消えてしまった。時折「殺してやる!」という奇声が館内から聞こえるから、そちらの不審者対応に向かったのかもしれない。
 時田はガッカリしたのと同時に、ほっとした。矛盾しているが、実際そうだった。時田は複雑な心境のまま、今度こそ真っ当に逮捕されるべく、レストランフロアへと足を運んだ。最初にパッと目についたのは牛カツ屋だった。牛カツなんて食べた事がない。最後の晩餐にしてはなかなか上等である。時田は牛の絵が描かれた暖簾をくぐると、人差し指を立てて一人客である事を店員に告げた。
「ごめんなさい入れません」
 レジカウンターにいた男が時田に言った。名札には店長とあった。時田は若年性ホームレスらしく身なりに気を遣っているほうだったが、顔で「ここを拠点にしている例のホームレスだ」と判断されたのだろう。あえなく入店拒否されてしまった。
 店長をぶん殴って逮捕されてもいいが、冬場だけのムショ暮らしという塩梅があるから、出来れば罪の重い傷害事件は避けたいところ。時田は大人しく引き下がって、横浜駅方面へと立ち去った。
 時田にとって横浜は第二の故郷だった。第一は東北の寒村にある。田舎から夢を追って上京してからというもの、永く横浜暮らしが続いた。知り合いも何人かいる。しかしもう誰にも会いたくない。時田は被っていた横浜ベイスターズの帽子を目深に被り直した。

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