小説

『おまけ人生』太田純平(『警官と讃美歌』)

 繁華街の方まで歩いて来た。ライトアップよりも人混みが眩しかった。俺だって好きでホームレスになったわけじゃない。時田はそう心の中で粋がりながら、なるべく道の端っこを歩いた。
 裏路地にある、一軒の冴えない小料理屋が目に留まった。くすんだ暖簾に半分消えかかった店名の電光掲示。今の自分にピッタリだ。時田は半ば吸い込まれるように店に入った。
「いらっしゃい」
 七十歳くらいの女将が出迎えた。席は全てカウンターで、八席しかない。時田は居並ぶ年配客の後ろを通って、一つだけ空いていた椅子に腰掛けた。女将がおしぼりを渡すと同時に「ビール?」と飲み物を訊いてきた。金も無いのに堂々と注文するのはさすがに気が咎めたが、女将の眼光に負けて思わず「ハイ」と答えてしまった。若い一人客が珍しいのか、女将も常連客も品定めするように時田をジロジロ見た。ビールは生ではなく瓶ビールだった。女将が注いでくれた。時田がしげしげとグラスに入った金色の液体を眺めていると、隣の男性客が杯を掲げて「乾杯」と言った。時田は会釈を返してビールを呷った。
「若いのに珍しいね」
 隣の客がまた話し掛けてきた。歳は六十くらいだろう。いかり肩で、見た目こそ坊主頭でゴツイが、口調は柔らかく、仏陀と話している気にさえなった。
「自分は元自衛官でね。船乗りだったんだ」
 聞いてもいないのに男が自分語りを始めた。よっぽど話し相手が欲しかったのだろう。時田は時折ビールに口をつけながら「えぇ」とか「はぁ」とか適当に相槌を打った。
「自分はね、小さい頃から飛行機乗りになりたかったの。それでね、パイロットになる為の訓練学校に入ったんだけど、成績が悪くて退学になっちゃったのね。まぁもともと狭き門だから、そういう自衛官は多いんだけど……。だけどね、僕にとってはそれが、人生最大の後悔なんだ。今でも飛行機乗りになれなかった事を――自分の夢を叶えられなかった事を、ずるずる引き摺って生きてる。僕の人生は、パイロットになれなかったあの日から、ずーっとおまけ人生なんだ」
 時田は彼の言った「おまけ人生」という言葉に心を撃たれた。打たれたのではなく撃たれた。自らの人生を「おまけ」だと言ってのける人間が自分の他に、たまたま入った飲み屋のカウンターの隣に居た。時田は人生とは何か。運命とは何かについて、考えずにはいられなかった。
 すっかり男に共感した時田は、それから自分について語り始めた。三十歳までシナリオライターを目指してがむしゃらに進んで来たが、結局、夢破れてしまったこと。もはや将来に何の展望もないこと。喧嘩別れのように飛び出して来たから、今さら実家には帰れないこと。人生で幸せだと思った瞬間がないこと。今の自分の人生はまさしく、おまけ人生であること――。

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