小説

『死のうと思っていた』ノリ・ケンゾウ(『葉』太宰治)

 そういって赤井君は、にやにやと笑ってつぶれている僕を起こして担いだのだ。いや、この記憶はいったい何だ? これは本当に現実の記憶なのか、いつも心穏やかな赤井君が、僕にこんなことを言うだろうか、幻聴ではないか。いや、もしかしたら赤井君が言っていたことは全部現実で、僕がこんな目にあっているのは、すべて赤井君のせいなのかもしれない、そうか、赤井君は僕に傾聴しているようにして、演技していただけ、本当は僕を殺すタイミングを伺っていたのか。とんだ役者だ、赤井君は。だけれども、どうして僕を殺す必要があったのか、まったく分からない。薄れゆく意識の中、光が差し込んできて、暗闇の中から、赤井君の顔が現れる。わあっ!と声を上げ、いよいよ殺されると思って身構えると、
「オサム君、大丈夫かい。助けに来たよ」
 と赤井君が、ビルとビルの隙間から手を差し伸べてきた。朝になったのだ。視界が明るくなると、僕は隙間に挟まってはいるけれども、なんてことない、少し移動すれば外に出られるくらいの場所に酔って填まり、身動きが取れなくなってしまっただけだったのだ。
「赤井君ごめん、今まで悪かった!」
 気が動転している僕は、赤井君に対するこれまでの無礼を詫びるつもりで、何度も何度も謝った。頭は痛いが、酔いも少し醒めてきているみたいだった。
「オサム君、それはいったいなんの話?」
「いやあね、こんな僕を見殺しにしないでくれたことへの感謝だよ」
 僕はいかにも芝居がかった口調で、赤井君の質問に答えた。ほんとは他にも謝ることや、感謝するべきことがあったのだが、この期に及んで僕は自分の役を演じるみたいなことをしてしまう。赤井君は僕の演技を眺めながら、隙間の暗闇に手を差し伸べる。赤井君は、親友だ。僕を光の方へ、引き戻してくれたのだ。満面の笑みを浮かべる赤井君は、僕の手を取るなりこんなセリフを言った。
「こんなに面白い友人は、他にいないからね、見殺しになんて絶対にできないよ」
 赤井君のにこにこ笑う顔は、酩酊した頭の中でみた赤井君と瓜二つであった。してやられた。やっぱり赤井君は、僕なんかよりずっと役者じゃないか。

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