ほぼほぼ形を成していないくらい曖昧な記憶を遡り、今日だか昨日だか、自分の行動を思い返してみる。赤井君といつもの居酒屋で酒を飲んで、会計を終えたところまではなんとか覚えているけれど、そこから今に至るまでの記憶がまったくないのである。最終電車がある時間には二人とも切り上げていたつもりだったが、それもどうだろう、かなりの酩酊状態だったためどのように帰路についたのかは分からない。辺りはまだ暗く、今が何時なのかも分からない。コンクリートは冷たく、胸が圧迫されているせいか、呼吸も困難で息苦しかった。どうしてこのような事態に陥ってしまったのか。手がかりと言ったら、やはり僕と赤井君が居酒屋でいったいどんな会話をしていたかを思い出すのが一番だと思い、僕は今この状態にいることの微かな手がかりを手繰り寄せるため、意識を集中して昨日の夜の記憶に頭を巡らした。
「僕はね、死ぬ前に一度でいいからロマンスを書いてみたかったね」
兼ねてから僕は赤井君の前で、小説家を自称していた。赤井君とは大学の文学部で同じ授業を受けているときに隣同士になって、友人になったのだった。その後、互いに話をしていくうちに赤井君も自分と同じ小説家志望なのだということを知った。
「ロマンス? ねえオサム君、ロマンスって何を書くの」
「ロマンスはロマンスだよ。赤井君、ロマンスって言葉を知らない?」
「知ってはいるけど、オサム君がロマンスを書く、だなんてなんだか意外な気がしてね。僕はてっきりオサム君は退廃的な作風の小説を書くと思っていたから」
「それはね赤井君、太宰治の読みすぎだよ。僕も同じオサムだけれど、太宰みたいダサい小説は書かないからね、これは洒落じゃないよ、あっはっは」
僕はいつもそうしているように、酒を飲みながら赤井君に偉そうな口と、つまらない駄洒落ばかり叩いていた。
「オサムの駄洒落はお寒いって? ひどいこと言うね赤井君、あっはっは」
「僕は何も言ってないよ、オサム君」
赤井君は駄洒落ではまったく笑わなかったが、僕が小説のことを話すときにはうんうんと聞いて面白がってくれた。そして赤井君が書いている小説が完成するたび、僕にそれを読ませてくれた。僕は赤井君が完成させた小説を読みながら、偉そうに赤井君の作品に対してこんな風に感想を述べていた。
「君の作品には、瑕疵がある、悪くはないけれど、僕にも貸しがあるし、お金のね、あはは。まあでも、赤井君の作品はまだまだ足りないところが多いよ。僕の方はお金が足りないけれど、なんつって。でも真面目な話、どうしても君がその小説を書かなければならなかったという必然性が感じられないんだよね、その点をクリアすれば、かなりいいところまで来てるんじゃないかな」
とかなんとか、かなり上から目線で物を言ってしまっていた。けれども赤井君は、僕のアドバイスを真摯に受け止めては、また新しい小説を書いて持ってきた。僕はそれを読んだ。面白かった。面白かったけれど、一度も褒めたりはしないで、それらしいことを言って赤井君よりも自分の方がすごい小説を書くみたいな言い方をした。本当は、自分ではまだ一作も小説を書き上げたことがないというのに。だけれども、僕は生活だけはかつての文豪に倣って、退廃的な生活を意図的にし続けた。太宰治が好きだと言う赤井君を馬鹿にしながら、太宰治に強くひかれていたのは紛れもなく、僕の方だった。