小説

『野ばらと将棋と』月山(『野ばら』)

 野ばらの上をミツバチが飛び、懸命に蜜を集めているようだ。ただ……どこか、その光景は、奇妙であった。男は、やがて気付く。野ばらが、少ないのである。昨日見た時は確かに岩……石碑を囲むように、めいっぱいに生えていたというのに。これは精々一株ではないか。自分の寝ている間に誰かが引き抜いてしまったのか、いや、そんな跡もない。それによく見れば石碑だって、こんなに綺麗だったろうか。こんなに文字ははっきりとしていたろうか。
 ぱちん、という音がする。
 音の方を見れば、二人、知らない人物がそこにいる。はて、いつ来たのだろう? 一人は青年であった。一人は老人であった。人気のない山の中、一瞬自分のように旅をしている者達かと思ったが、それにしては服装が整っている。警官……いや、軍人……。両者ともそんな格好をしているが、しかしデザインが全く違う。まるで別々の国の兵士でも同時に眺めているかのようだ。そういえば、ここはちょうど国境であったか。
 しかし彼らはこんな場所で何をしているのか。
 青年と老人は将棋をしていたのであった。
 ぱちん。青年が駒を動かす。男はこういう遊びに詳しくなく、盤面を見てもどちらが勝っているのかいまいち分からない。──が、二人の表情を見てみれば、青年の方が明るい目をしていたので、きっとそっちが優勢なのだろうと思った。男はそのまま、青年と老人の勝負を眺めていた。二人とも、男が傍にいても気にする様子もない。だから男も遠慮せずに見ていた。じっと盤面を眺めていると、だんだん自分が審判にでもなったかのように男には思えてきたが、ルールも知らない男は精々見物人であった。やがて決着はついたようであった。「参りました」と老人が言ったので、これは青年の勝利であるかなと男は思った。そうしてふと、腹がへっているのに気付いて、そういえば朝飯を済ませていないのだったと思い出してパンをかじった。
「あなたも一局なさいますか」
 青年が男にそんな言葉をかけ、急だったので少し理解は遅れたが、男は自分が将棋に誘われたのだと分かった。せっかくだがやり方を知らないから、と男は断る。すると今度は老人の方が、男に向けて呼びかける。
「良ければ教えましょうかな。簡単にではありますが」
 男は老人に将棋を教わる。時折青年からもアドバイスなどを貰う。親切な二人であるし、仲の良い二人であると男は感じる。のでそのまま彼らに告げる。すると二人は、照れたように笑う。
「敵どうしであるのですがね」
 と老人が言い、
「敵どうしではありませんよ」
 と青年が言う。
 どちらなのだろうと男は迷ったけれど、すぐに青年の方を信じた。これほど仲の良さそうな二人が敵などと言われても、困る。

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