小説

『親指の。』かがわとわ(『王様の耳はロバの耳』)

 母方の家系、男性のみに、たまに現れる遺伝であること。よって、私が将来「親指の目」を産む可能性があること。世間に知れては甚だ面倒なので、ひた隠すこと。よいか? 祖父は、一族の秘密を語って聴かせた。
「悪事にも色事(いろごと)にも利用できる。使い方を誤ると危険だ。自分を律して、この目を開くのは、大変なことの連続だったよ。一度だけ、過ちをした。誘惑に負けた──。なぜ一族は、男性にだけ親指の目を出現させるのだろう」
 祖父は、顔の目を遠くに向けた。その時、また色気のようなものを感じたが、当時の私には、家具の隙間に転がった十円玉を探す用途くらいしか、思い浮かばなかった。
「おじいちゃまは、指の目が無ければ良かったと思っているの?」
「ここに、ある。その感じは常にある。無ければ僕ではない」
 祖父は、質問の答えをはぐらかした。胸ポケットから新しい絆創膏を出すと、慣れた手つきで碧い目を眠らせた。
「なあに。ひとりで家にいる時は、解放してやっているんだ。こんなものずっとつけていたら蒸れてしまうからね」
「ひとりなの? ずっと? だったらここで一緒に住めばいいのに。ここでなら指の目を開いてあげられるじゃない」
「僕はね、居場所を知られてはいけないんだ。最近は同じ県内にいたけれど──塔子のことで連絡が来るのを待っていたから。あちこち移動して暮らしているんだよ。塔子に一族の秘密と掟を伝えられたから、明日から遠くへ行こうと思う。それに……指の目は、人に対して感度が高すぎるところがあってね。僕も疲れるんだ」
 父も母も、今晩くらいは泊まって行ってくださいと勧めたが、祖父は「知っているだろう」と、断った。
 ようやく食事が始まったころには、私は空腹と高揚感と軽い貧血でくらくらしていた。お赤飯、尾頭つき鯛の塩焼き、茶碗蒸し、蛤のお吸い物……祝いの料理でお腹が満たされていくうちに、決心のようなものが少しずつ湧いて来た。
 夜が深くなっても、両親は「もう寝なさい」とは言わなかった。零時をだいぶまわった時、
「そろそろ、おいとましよう。フギンとムギンが起きるまでに帰らないと」
祖父が、椅子をひいて立ち上がった。
「おじいちゃま、もう少しだけ。誰なの? フギンと?」
 私もつられて立ち上がり、気づくと祖父の左手をつかんでいた。
 とくん。
 親指の絆創膏を通して、指の目が脈打つのがわかった。
「フギンとムギン。世界中の情報を、集めてまわる不死身のカラスたちだよ。僕がどこにいるか、かぎ回って飛んでいる。親指の目の継承者は、現在僕だけだ。受け継ぐ子を産む可能性を、塔子ひとりに背負わせてすまないと思ってる」
「お母さんが、弟を産むかも知れないじゃない。まだわからない」
「親指一族の女たちは、一度しか孕まない。男が生まれても、指の目を持つ確率は高くない。塔子、秘密を守って、しっかり生きて行きなさい。この一族に生まれたことのさだめだ。離れていても、幸せを祈っている」

 祖父と別れたあとも興奮は冷めやらず、布団の中で寝返りばかり打っていたが、気づくと朝になっていた。いつの間にか眠れたらしい。
 リビングに行くと、昨日の名残がテーブルに認められた。あっけらかんとした朝の光を、窓越しに呆然と受けていると、
「ほら、学校に遅れるわよ」
 母の声に振り向く。
「お母さん、私……」

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