小説

『走れ香奈子』杉森窓(『走れメロス』)

 ランキング報酬。それはつまり、アプリゲーム内で開催されるイベントに参加した上位のものだけが受け取れる報酬のことだ。香奈子がハマりにハマっているこのイケメンアイドル育成ゲーム『ボーイズ☆シャイニー』は配信当初から三年経つ今まで、アプリセールスランキング五位以内から落ちたことがない化け物的人気を誇っている。その魅力は個性豊かなキャラクターたち、そのキャラクターたちの関係性、そして圧倒的な美麗イラストにある。
 香奈子の最推しキャラクターである愛嘗コウキは作中でも最も人気のキャラクターで、今回のアプリ内イベントで獲得できる彼のカードイラストは香奈子の反応からお察しの通り、とんでもない出来になっているのだ。Twitterでのアプリ公式アカウントからの発表ツイートはものの数分で万以上のRTと「いいね!」を獲得し、一時Twitter内のトレンドは「愛嘗コウキ」で埋め尽くされた。
 自分が生涯で最も好きになった男が、これほどまで多くの人に愛されている。その事実は香奈子にとって誇らしかったが、それと共に恐怖と、怒りが香奈子の心にふつふつと沸いた。
(運営は、コウキくんを人質にしてこのイベントで数億稼ぐつもりだ……)
 最愛の人物のために寝る間を惜しんでイベントを走る、間に合えば自分の命(というと大袈裟だがこの歳の女子高生にとって睡眠時間と金の出費は痛い)と引き換えに彼を手に入れることが出来るが、間に合わなければ彼のカードは一生手に入らない。つまり死んだも同然だ。そのことに気付いた瞬間、香奈子の脳裏を過ったのはかの有名な太宰治の小説、『走れメロス』だった。由紀奈には太宰に失礼だと言われたが、香奈子は今はもう、完全に自分がメロスになったような気分だ。香奈子にゲットされるのを信じて待っているコウキの姿まで浮かんでくる。そして何より、香奈子はこのコウキをどうしてもゲットしなければならない事情があった。コウキの作中内の相方である、皆橋ユマの存在だ。香奈子がつい先日まで走っていたイベントの報酬が、ユマのカードだった。今回のコウキのカードは、なんとあろうことかそのユマのカードと繋がり、ペアになるように描かれている。つまり、二枚で一枚となることで完成するのだ。
 おのれ運営……なんと非情なことをする……。
 メロスよろしく、香奈子は熱い気持ちで拳を握りしめた。そんな香奈子に、由紀奈は公然と言い放った。
「でも来週から期末テストだよね~」

 期末テストは来週月曜から金曜日。イベントは今週金曜日から来週金曜日。その間にバイトは三回。日曜は兄の結婚式。テスト勉強は、毎日。いくら推しキャラクターのために女子力も高校生としての青春も全てを捨てていると言っても、さすがに進級だけは捨てられない。香奈子はアプリのイベント告知日からイベント開始日である金曜日まで、寝る間も惜しんで勉強した。少しでも早くテスト範囲を終わらせ、イベントに備えるために。授業中ですらテスト勉強をしているのだからおかしな話だ。夜は寝てしまわないよう、由紀奈がパソコンからSkypeで監視してくれた。なんて良い友達だ。これから由紀奈は私のセリヌンティウスだよ。そう零すと、由紀奈からは「あんた絶対私のこと助けに来ないでしょ」とあしらわれた。
「眠い……。眠いよ~由紀奈~」
「ほら頑張れ。コウキくんのイベント、明日からだよ」

1 2 3 4 5 6 7 8