小説

『走れ香奈子』杉森窓(『走れメロス』)

 香奈子は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の運営を除かなければならぬと決意した。
「香奈子? 香奈子、ねぇ、聞いてるの?」
「……ん~?」
「だから、昨日木戸くんがさぁ、私の……。もう! 聞いてってば!」
 香奈子の親友、由紀奈が香奈子のスマホを取り上げた。
「ああっ!」
 スマホの画面をタップしようとした香奈子の親指が、虚しく空を打つ。由紀奈がスマホを香奈子の目に届かないところに隠そうとした瞬間、香奈子は画面に映るランキングが一位から二位、三位と転落していくところが見えた。

「よかった~。とりあえずユマくん三枚取りには成功した……」
「ユマくんって香奈子の推しじゃなくない?」
「推しの相手! 受けくんです! コウユマのユマの方です!」
「あ、そう……」
 香奈子は腐女子だ。腐女子でソシャゲ廃人だ。バイト代を全てソシャゲの課金に注ぎ込む程には。だから周りの女子たちのようにお洒落やリアルの遊びに金と時間を回す余裕もなく、服は中学時代からの使い回し、化粧品は母のものを借り、当然、彼氏はいない。今の香奈子の相手をしてくれるのは、せいぜい、この、目の前でつまらなさそうにオレンジジュースを飲んでいる由紀奈くらいだ。
「香奈子っていつから腐ったんだっけ……」
「え……いつからだっけ。もう腐る前の自分を思い出せない……。え、待って! ちょっと! ねぇ!」
「ちょ、痛いからもう。何。どうしたの」
 香奈子は必死で、スマホの画面に映る画像を拡大する。思い切り顔を近付け、鼻息荒くjpegを見つめて、何かぶつぶつと口走っている。由紀奈は引いた様子もなく香奈子のスマホの画面を覗き込むと、呟いた。
「うわ。顔、良……」
「こ、こ、ここ、こ、コウキぐん」
「次のイベント?」
 香奈子は必死で頷いては、壊れたおもちゃのように何度も最推しキャラクターであるコウキの新規画像の拡大・縮小を繰り返しなめ回すように見ている。
「由紀奈……。どうしよう」
 興奮した様子の香奈子だったが、やっと画像を見ることを止めTwitterの画面をスクロールし出してはたと指が止まる。見ているこちらが暑苦しい程興奮していたはずの香奈子は、今度は雪国にでも全裸で放り出されたかのように震えている。
「……まさか」
「……私今まさに、走れメロスの気分……」
「やめて太宰に失礼」
「だって」
「わかってるよ。今回のコウキくんのカード」
「ランキング報酬なんでしょ」と言う由紀奈の声と、「ランキング報酬……」と言う香奈子の声が重なった。

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