小説

『常世のモノ語』長月竜胆(『赤い靴』)

「迎えが到着次第、ご連絡いたします」
「ああ、頼んだよ」
 そうして、老紳士と夫人は、草の生えた丘の斜面をゆっくり下って行った。
 森へ入り、二人は方角を頼りに進む。すると、やがて木々の先から突然、蔦に覆われた巨大な壁が現れた。見上げると、蔦の葉の隙間から窓が見える。位置が高くて中を覗くことはできなかったが、目的の屋敷に辿り着いたようだった。まるで森の一部であるとでも言うように、多くの木々とすぐ隣り合わせにあった。
 そのまま二人は、壁伝いに正面へ回ってみたが、やはりと言うべきか、そこにも道らしきものは見当たらない。密接する木々に隠れ、屋敷の全体像も把握できそうになかった。そして玄関では、両開きの立派なドアが、何故か大きく開け放たれている。
「……ふむ。住居ではなさそうだな。まるで美術館だ」
 老紳士が中を覗き込むと、広いエントランスと長い廊下には、大理石の台座がいくつも並んでいた。その上にはガラスのショーケースが置かれていて、様々な美術品のようなものが飾られている。
 二人は目の前のショーケースに歩み寄った。中では、鮮やかな赤色のパンプスが、輝くように光を反射している。装飾は控えめでシンプルだが、だからこそ高級な品格を備えていた。
「まあ、綺麗な靴ね。これも芸術なのかしら」
「うむ。確かに靴を飾るとは珍しいな」
 二人が不思議そうに眺めていると、
「――ようこそ、おいでくださいました」
 突然声がして、奥から一人の青年が姿を現す。西洋中世の貴族のような服装で、二十代半ばと思われる、端正な顔立ちの美青年だった。
「これはどうも。開いていたので勝手に入ってしまったが、問題なかっただろうか」
 老紳士が挨拶をすると、
「ええ。この館は夜の間だけ開放しておりまして、出入りは自由です。歓迎いたします」
 青年は見た目の印象に違わぬ気品ある振る舞いで応じた。夫人が青年に尋ねる。
「ここは美術館か博物館といったところなのかしら?」
「いえ、そんな大層なものではありません。あくまで私個人のコレクションを展示しているだけのことです。ご要望があれば、販売もいたしますが」
「販売? つまりこれらは売り物でもあるのね」
「はい。ここで朽ちるのをただ待つよりは、その方が彼らのためにもなりますので。もっとも、ここにある物は私が何度手放しても、必ずいつかは手元に戻ってきてしまうのですけどね。どうも持て余す方が多いようでして」
「……持て余す、とは、どういう意味かね?」
 老紳士が聞き返すと、青年はそばの赤い靴を指しながら言った。
「例えばこの靴ですが、一説には、かの有名なアンデルセンの童話『赤い靴』のモデルになったものとも言われています。この靴を履いた者は、自然と身体が動いて、優雅に踊り始めるのです」
「ほう。にわかには信じがたい話だな。それに、『赤い靴』にモデルがあったとは初耳だが……」

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