小説

『一寸法師、見参』柿ノ木コジロー(『一寸法師』)

 このまま生きていても、新しい何かが起こるとも期待できない。
 新しい出逢い、新しい挑戦、新しい冒険……すべてが自分には、縁のないものだ。
 永遠に。

 俺も、もう……おしまいにしようか、ここで身を清めて、それから。

 ふと、背中を向けている壁から、がりがりと何かをひっかく音が響いた。次に、ぱら、ぱらぱらと小石が落ちてくるような軽快なリズムが乗り、すぐに、小刻みな振動はかなりの揺れとなった。
 彼は蛇口にかけたタオルを取り、ふり向きざまに中腰となった。
 急に、背中側の壁だった所がぱくりと大きく裂けた。
 物置があった場所は、がれきと化していて、はるかかなたの山まで見えている。
 その雄大な景色の向こうから、大量の土砂と、茶色く濁りきった水と、折れた木々とが彼の家めがけて襲いかかってくるのも、丸見えだった。
 幹がひと抱えもありそうな杉の木がまっすぐ、彼の方に流れてくる。流れてくるというより直進している。
 まるで、鐘に向かってくる巨大な鐘突き棒だ。
 そしてまさに今、彼自身が、鐘となりつつあった。

「やっべえ!」

 思わず声に出たが体は動かない、このままでは押しつぶされる、そう思ったせつな、大木のギザギザに千切れた先端がぐい、と下がって浴室の床に沈んだ。
 木やコンクリートの破片が飛び散り、浴槽が左右に揺れた。
 彼は仰向けに浴槽内にひっくり返る。栓が飛び、湯が何かをすするような音とともに抜けていった、彼は目を閉じたままあわてて栓をし直す。
 体が浴槽ごと持ちあがり、ふわりと宙を舞ったのに気づいた。なぜか大木が梃子となって、浴槽を床から引きはがし、彼を乗せたまま浴室から運び出してしまったようだ。

 気づいた時には、彼は濁流に乗っていた……風呂桶にしがみついたまま。

 彼を乗せた浴槽は猛スピードで下ってゆく、沢に沿って、濁流の中を。葛の蔓がぴしり、と頬を打ち、彼は我に返る。

 とりあえず、天然スリコギの犠牲にならずには済んだ。
 しかし、桶は時おり左右に回ろうとふらつくし、時に大きく上下に揺れるし、不安定なことこの上ない。
 風呂の栓も油断していると抜けてしまいそうだ。
 転覆したり、栓が抜けたりしたら濁流にのみ込まれてあっと言う間にオダブツだ。

 びゅん、と頭上を長い竹の棒が通過した。

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