小説

『GUM』松野志部彦(『貨幣』)

 喧騒を断ち切るような、甲高い女性の声。
 水を打ったように静まり返る教室の中、つかつかと靴を鳴らし、大人の女性が弟さんの前に仁王立ちしました。この学校の先生のようです。眼鏡の奥の目がこちらを冷たく睨んでいます。
 嫌な予感を覚え、私は呆然と見上げました。
「ガム、噛んでるでしょう」
 先生は弟さんの手から容赦なく私を取り上げると、ポケットからティッシュを抜いて突きつけました。
 そして、こう宣告したのです。
「吐きなさい」
 その時、私が受けた衝撃は、とても言葉で申し上げられるものではございません。
 弟さんはしばらく不服そうに先生を見上げていましたが、「早く」と詰め寄られると、しぶしぶティッシュの中に仲間を……、無残な姿に成り果てた仲間を吐き捨てました。
 吐き出された裸身の彼女は、無惨なぐしゅぐしゅの塊に成り果てていました。あの美しくスラリとした面影はもうどこにも残されていませんでした。
 なんてことを!
 私は狂ったように泣き叫びました。
 しかし、元からガムの声など人間には届きません。そこで私は仲間へ必死に呼びかけたのですが、とうとう返事は返ってきませんでした。先生は、打ちひしがれた彼女の身を握り潰すかのようにティッシュを丸めると、さっさとゴミ箱へ捨ててしまいました。
「他の人も、おやつを学校に持ってきたら駄目ですよ。見つけたら即没収です」
 先生は残り一枚となった私を見せつけ、皆に言い放ちました。
 私は殺意にも等しい憎悪を覚えました。
 こんな理不尽な話があるでしょうか。
 子供からお菓子を取り上げる大人の、どこが正しいというのでしょう?
 私は声を枯らすまで泣き喚き、怨み言を連ね、しゃくり上げてからまた喚き、そうしている間に鞄の隅へと突っ込まれてしまいました。先生は児童達が帰った後もなにやら忙しく働き、それも終わって家路に着く頃には、やっぱり私の事など忘れてしまっているようでした。

 それから随分と長い間、私は独りぼっちで放って置かれました。

 いったい、どれほどの時間を……、空白の時を過ごしたことでしょう。季節が巡り、夏場は暑く、冬は凍え、それでも私はその鞄の底に蹲っていました。私の心は既に麻痺をきたし、一切の恐怖も、一切の歓喜も忘れてしまいました。時間だけが、鉄板の上に置かれた氷のように無為に溶けていきました。

 私がすっかり光を忘れた頃、ようやく異変が起こりました。

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