小説

『わらべうた』きぐちゆう(童謡『かごめかごめ』童謡『ずいずいずっころばし』)

 あら、あの壺あんなに大きかったかしら。

 胡麻のおにぎりとお味噌汁が続いて一週間。届けに来たお母さんが、珍しくドアの外から話しかけた。
「お母さんと賭けをしない」
 子どもの頃のような優しい声。返事を待って立ち去らないので仕方なく、なぁにと応えた。
「お母さんがね、今歌いたい歌を当てて」
 何を急に言い出すのかしら。
「・・何を賭けるの」
 答えは予想がつく。賭けに負けたら部屋から出て来なさいって言うんだわきっと。
「それは当ててのお楽しみよ・・・ねぇ。当ててみて」
 ドアの外から体温が伝わって来る。答えるまでずっと居るつもりだわ。お母さんには粘着質な所があるから。あぁ、でも。小さい頃よくこんな当てっこをしたわ。小さくて素直な頃。歌・・・もしかして。私と同じ歌かしら。
「かごめかごめ」
 お母さんはふぅ、と息を吐いて、
 「はずれ」
と言った。

 ぐわん。
 ぐわん。
 ぐわんぐわんぐわんぐわん。
 「何、何これぇぇっ!」
 部屋の隅にあった壺が回転しながらずんずん巨大になっていってぐわんと倒れると大きな口を私に向けた。
 「いやあぁぁぁ!」
 私は体当たりしながらドアを開けた。階段を駆け下りる私の頭上から壺が追ってくる。

 嫌嫌嫌嫌怖い怖い怖い怖い。
 訳の分からない恐怖と壺に追われて私は走る。何年振り、何十年ぶりかに走らされて足が付いて来ない。もつれる。転ぶ。夜の街を私は必死に走る。だって追って来るんだもの。真っ暗な口を私に向けてごろごろごろごろ縦に転がりながら執拗に追って来るんだもの。はずれって何。お母さん何したの。口に呑まれなくても壺の胴体で圧し潰されちゃう、あんな大きな壺。誰か助けて。何で誰も居ないの。喉が痛い。ひぃひぃと息が痛くて喉が裂けそう。私は訳も分からず走る。
 「ひひっ」
 久しぶりのお出かけだわ。遠い所から歌が聞こえる。誰かが何かを歌ってる。私は住宅街の角を何度も曲がった。あの角を曲がると交番が、無い。道を間違えた。他に何処か助けてくれそうな所は。逃げられそうな所は。
「ひひっ」
 十何年も現実から逃げていた私が、これ以上何処へ逃げるって言うの。悲鳴じゃなくて何で笑うの。だって。私は一瞬だけ振り向いた。壺は茶色だった。その茶じゃないでしょう。歌っているのはお母さん。とっても楽しそう。一週間続いた胡麻のおにぎりとお味噌汁。

1 2 3