小説

『紅蓮の華』香久山ゆみ(『地獄変』)

 惑うことなく己の道を貫き邁進する、その若さ、執念、情熱。それは老年にかかったおれにはもはやないものなのではないか。むろん技術だけならまだまだおれの方が上だ。しかし、それだけでは到達し得ない境地があるのだ。
 ――そう、娘の燃え滾る芸術の炎への、脅威。畏怖。それがあの悪夢を見せているのではないか。
 ああ、おれは。いや、おれこそが。芸術の鬼と化したいのだ。だからおれは絵筆をとる。一心不乱に、脇目も振らず。描いて、描いて。求めて、求めて。おれの目に。手に。美を。動を。生を。細を。世界を。すべてを。おれも、あちら側に、紅蓮の炎の中に立っていたいのだ。
 彼岸に立つ、炎に包まれた娘を見つめる。ただ無心に絵筆を走らせる。彼岸の夢を見るとは、おれも迎えが近いのだろうか。娘は笑っているようにさえ見える。じっとこちらを見つめて。炎の中そっと腕を上げ、指差す。すっと、おれの方を指している。おれの、足元を。ずっと届かぬものを追い求めていたおれは、そこでようやく自分の足元を見やった。――おれの足元に、鮮やかな曼珠沙華が咲き乱れている。ぱちぱちと赤い炎を吹いて。――ああ。おれは。まだ。まだまだ。あと十年、いやあと五年。生きて、描いて、描いて、「本物」の絵師とならん。
 ここから新たにおれの道は進むのだ。新しい雅号は、曼珠沙華からとった。我が名は、まんじ。――「画狂老人 卍」。

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