小説

『紅蓮の華』香久山ゆみ(『地獄変』)

 向こう岸、彼岸の花が咲きほこる。その中に一人の女が立つ。おれは此岸からそれを眺める。「おーい、おうーい」呼掛けても、女には届かぬ。――と、瞬く間に緋色の花が炎に変わる。燃え盛る炎の中、身じろぎもせずに立つ女。じっとこちらを見つめている。笑っているようにさえ見える。おれは、この場から動くことができない。ただ、じっと眺めているだけ。助けに行くべきであろうが、体が動かぬ。それどころか。いつの間にか、おれは一心不乱に絵筆を紙に滑らせ、描く。目の前の光景を。紅蓮の炎が、おれの娘を焼き尽くすのを――。
 目を覚ますと、体中が汗でびっしょりだ。幾度この悪夢を見ることか。
 娘と生活をともにするようになって久しい。似たもの父娘と人はいう。が、実際ちっとも似ちゃあいない。「親父、その紙とっておくれ」なんて、父親をアゴで使う。散らかしたら散らかしっぱなしだ。女らしさの欠片もねえ。
 価値観だってまるでちがう。「彼岸花? あれは曼珠沙華だろう」「どうだって同じだろうが」「いいや、あれは『花』って姿じゃないねえ、『華』だろう」なんて、いっぱしの芸術家気取りだ。
 そのくせ、おれの失敗作を「売っておしまいな」と抜かしやがる。
「馬鹿野郎。絵師が納得できねえ作品を売りに出せるか」
「お飯くえなきゃ仕様がないだろう。それにさ、気に入らないんなら、売っちまってから消せばいいのさ」
「人様の手に渡ったもんをそう簡単に消せるかよ」と言うと、「なら、家ごと燃やしちまえばいいさ」とけたけた笑う。こいつ火事見物が好きなもんだから、あながち冗談にも聞こえない。化物じみてやがる。こんなことを平然と言うので、肝が冷えてかなわねえ。この馬鹿娘、いつかお縄になっちまいやしねえかと。
 ああ、だからあんな夢を見ちまったのだろうか。いや、ちがう。そうじゃない。
 この娘は絵を描きたいのだと、夫と別れておれのところへ転がり込んできた。その言葉に嘘はなかったようで、夢中に描き続けている。しかし描けば描くほどその情熱は常軌を逸し、芸術至上の非常識だ。これじゃいけねえと、おれはいそいそ娘を置いて居を移るのだが、こいつはしぶとくついてきておれの傍で絵を描き続ける。「親父は住処も号もころころ変えて、落ち着かないねえ」なんて、親の気持ちも知らねえで。「まだまだ親父から学ぶことがある」とかなんとか、けっ、可愛くもねえやい。
 おれの隣で、娘の腕は目に見えて上達していく。
 ある時、娘に二枚の絵を見せた。青い富士と、赤い富士。
「どっちがいいと思う?」
 まあ絵師なら当然「青富士」を選ぶだろうね。なにせ新しい顔料「ベロ藍」を使ってんだから。
「赤」
 迷わず選びやがった。
「……なら、緋の色はお前にくれてやるわい」
「火の色? うふふ」
 以来、青い富士絵や浪の絵をずいぶん描いた。しかし、本当は。緋をくれてやったあの時、まるでおれの炎が奪われちまったと感じたのだ。
 情熱の炎。

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