小説

『幽刻』乃木宮稜(『変身』)

 それから数日。私は両親と共に暮らす自宅にいることが多くなった。葬式を終えてようやく悲しむ時間を与えられた両親ではあったが、それほど取り乱している様子でもない。きっとああいった式の手配が忙しいのは、残った者の心を沈没させないために必要なことなのだろう。事実、式を終えるまでの父も母も、私のことを話すだけの余裕などなかったはずだ。それが今、ようやく与えられた時間をきっかけに、ぽつぽつと思い出話をするようになっていった。
 かちゃりかちゃりと食器を洗う音が鳴り、テレビから流れる笑い声が空虚な居間を満たしていく。
「自殺……なんだってな」
 沈黙に耐えかねたのか分からない父の発言に、びくりと肩を震わす母の姿。
「……どうして」
 それは私の言葉だったか母の言葉だったか、どちらにせよその意味はまるで違うものだった。何故私が自殺したことになっているのだと、意味が分からなかったからだ。あの事故はただ咥えた煙草を落としてしまって気を取られたのが原因のつまらない事故でしかない。それをどうやら両親だけでなく、恐らく他の人間だって私の死に何か大きな意味をもたせようとしているのか。
 そこから先の、両親の会話はなんとも酷いものだった。自殺の原因は職場ではないか。大きな悩みがあったのではないか。そもそも家庭が、教育が。傷のついた心を慰めるために存在しない悪人を探し出そうとする二人の姿に抱いてしまった感情に、私は名前を付ける気にはならなかった。

 言い争いの日々はやがて冷戦に。二人から会話というものが消え去った頃、私の日々に変化が生じることになる。自室で何をするわけでもなく居た私に、母が気付いたのだ。どうしてと呟いた母の言葉の意味は、今度こそ私と同じものだったのだろう。まるで探し続けていたものを見つけたように、父の名を呼びながら部屋を飛び出すのだった。
 そうして父を連れて戻ってきた母は、部屋の中で座り込む私の方を向いて何やら嬉しそうな様子であった。しかし父の方はそうではなかった。泣きそうな表情で母を抱きしめ、ただただ謝っていた。きっとその謝罪の理由を、母だけは知る由もないのだろう。
 そして私は、この家から離れることにしたのだった。

 眠らずに済むこの身体は、私から時間の感覚を奪い去ってしまった。眠っていない分だけ一日の体感時間が伸びたのもそうであろうが、恐らく三か月ほど経った頃だろうか。もうじき春の気配も感じられるだろうというある日のこと、今は二人だけが住んでいるかつての自宅の前を通りすがったとき、中から半狂乱になっている女の声が聞こえたのだ。少し気になって覗いて見ると、私の使っていた机にしがみつく女とそれを引きはがそうとする男の姿がそこにはあった。

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