小説

『とある夫婦とブランコ』鷹村仁(『夢を買う』)

「うるさいよ。」
 これもいつもの会話で、私と妻は駅まで歩きだした。
「ちょっと、コーヒー買う。」
 そう言って私は通りかかった自販機にお金を入れ、ホットの缶コーヒーを買う。
「私も欲しい。紅茶がいい。」
 後ろで妻が催促するので紅茶も買う。12月の外はやはり寒い。
 電車にゆられ、自宅の最寄駅に到着する。特に会話もなく歩き進める。ライブの感想はこちらが聞かない限り、妻は答えない。これもいつもの事。ただ、聞くと正直に答えてくるので怖くて聞けないというのもある。
「ねえ、決まった?」
 無言だった妻が聞いてくる。すぐに何か分からなかった。
「なにが?」
「先生するかどうか。」
「・・・まだ。」
「そっか。」
 妻はそれ以上聞いてくる様子もなく、前を向いて歩く。やはり気にはなっているのだろうか。
「やった方がいいかな。」
「あなたはどうなの?」
「・・・もうお笑いは無理なのかなって思ってはいる。」
「ちょっと遅くない?」
「ごめん。」
 二人でフフフと笑う。そしてまた、会話なくとつとつと歩く。
 近所の小さな公園に通り過ぎようとした時、妻が立ち止まる。
「ねえ、ちょっと話さない。」
 公園を指さし、微笑む。
「暗いし寒いから早く帰ろうよ。」
「ダメ。ブランコに乗ろう。」
 そう言って妻はブランコの所に行ってしまった。寒い以外は特に反対する事はなかったので、言われた通りブランコに腰かけ、小さくブランコを漕いだ。小さな街灯に照らされてブランコに乗る夫婦は少しおかしく感じた。
 妻がブランコを漕ぎながら聞いてくる。
「ねえ、『夢を買う』っていう話知ってる?」
「・・・知らない。」
「あのね、お人好しの商人が絵描きの見た夢を買うのよ。その夢は『長者の家に咲いている白い椿の木の根を掘り起こすと大金が出て来た。そしてそのそばには小さなアブが飛んでいた。』っていう夢なの。」
「それで?」
「だけど長者の家に白い椿は咲いてなかったのよ。でもお人好しの商人はその夢を信じて長者の家に二年間もじっと勤めたの。そしてとうとう白い椿が咲いているのを見つけた。そして大金を掘り起こす事が出来たの。」
「・・・。」
 妻がブランコを漕ぐのをやめた。こちらをじっと見つめてくる。見つめるだけで何も言わない。
「・・・何?」
「ねえ、あなたはお笑い芸人をやり始めて何年たつの?」
「32年。」

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