妻の美和は特に否定も肯定もせずに「どうするの?」とだけ聞いてきた。もう少し前のめりに詳しく聞いてくると思ったが、全くそんな事はなかった。
「どうしよう?」
「私に聞かないでよ。自分の事でしょ。」
夫婦の事でしょ。と言いたくなったがやめておいた。
「先の事を考えてだよ。」
「もう先にいるでしょ。30代、40代じゃないないんだから。」
美和は呆れたように笑う。何か達観したものを感じる。さすがだ。
小さい頃から人を笑わせるのが好きで、周りからも「面白いね」「お笑い芸人みたい」と言われてきた。そんな流れでお笑い芸人を目指すようになった。そしてピン芸人で活動してきたが、53歳になる今日まで世間から全く認知されていない。仕事はほぼ警備員。週5勤務のベテラン警備員。自分の体から哀愁が漂いまくってるかもしれないが、それでもお笑い芸人をやめることはなかった。もちろん妻には迷惑をかけまくった。だけど妻は少しの毒を吐きながらも、自分が出るライブには出来る限り見に来てくれる。
「あなたがテレビで活躍する夢を見た。」
と、若い時にニコニコしながら嬉しそうに言ってきた事があった。そんな妻が可愛く思えたし、真に受けてはしゃいだ自分もいた。だけど私はその言葉を信じ、夢を追い続けた。言ってみればお人好しなのだと思う。
チラッと時計を見ると21時を指している。狭い楽屋にはわちゃわちゃと芸人が詰め込まれていてみんな帰り支度をしている。もちろん全員年下。自分は鏡を見ながら化粧を落とす。そばでは「打ち上げしようぜー。」と盛り上がっている。
「健さんもどうですか?」
と、その中のひとりが誘ってくれる。
「悪い、今日はやめとくわ。また誘って。」
やんわり断る。そしてああだこうだ言いながら若手の連中は劇場を去っていった。
自分も荷物をまとめて外に出ると、妻が待っていた。
「お疲れ様。」
「おまたせ。」
いつもの光景。劇場の周りには妻しかいない。出待ちの女の子なんてほとんどいない。たまに男が「面白かったです。」と声をかけてきてくれるぐらいだ。
「相変わらず人気ないわね。」