小説

『とある夫婦とブランコ』鷹村仁(『夢を買う』)

 12月。世間がせわしなく動いている時に旧友の和也に呼び出された。そして喫茶店で聞いたその内容に私は戸惑った。
「先生?」
「そう。どう?」
 スーツを着た和也は胸ポケットから名刺を出してくる。そこには『JOINTO学院』と書いてある。
「今度さ、うちの専門学校で芸能部門を立ち上げる予定なんだ。中身は俳優、声優、タレント、それとお笑いもあるんだ。」
「俺がお笑いを教えるの?」
「いや、健一に頼みたいのはその部門の常勤の先生。教える人は非常勤の講師。」
「何するの?」
「簡単に言えば運営かな。学生の管理、講師の管理、イベント運営、入学検討者への広報、その他諸々。」
 名刺の裏には音響部門、放送部門、メイク部門など様々な部門が書かれている。常勤という事は『就職』する事になるのだろう。
「・・・。」
 いい話ではあるが、なかなか即答できない自分がいる。目の前にあるコーヒーを飲む。
「最近、芸人の方はどうよ。」
 和也が話題を変えてきた。
「ん、まあ、なんとなくだな。」
「そうか。こっちも仕事で忙しくてさ、なかなかライブに行けなくて悪いな。」
「いいよ。そっちは大変そうだな。」
「もう53になるのに、まだ駆けずり回ってるよ。一応管理職なんだけどな。」
 和也は小さく苦笑する。
「少し考えてみてよ。悪い話じゃないと思うんだよね。」
 こちらの気持ちも汲んでくれたのだろうか、こちら側の話は深く聞こうとはしなかった。
 別れ際に和也が「お前、向いてると思うよ。」と言った。

 53歳。職業・お笑い芸人。だけどお笑いだけで食べて行けていない。結婚もしてるし、息子もいる。その息子も22歳。家電量販店に勤めて、近々恋人と結婚する予定らしく家にはもういない。よく自分もここまで子供を育てて生活してきたなと改めて感心する。そんな自分に突然の『先生』の誘い。常勤で働くという事は芸人の活動は出来なくなるし、この歳で活動しなくなったら、ほぼ『辞めた』事に等しい。

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