小説

『ブラックサイドカンパニー』小泉麦(『桃太郎』『金太郎』『浦島太郎』)

 鬼瓦は『勧善懲悪』を引っぺがして床にたたきつけた。たたきつけた瞬間、思ったより派手な音がしたので、あわてて拾いあげる。よかった、額縁は割れていない、と安堵する自分にがっくりとうなだれた。
「鬼瓦社長、失礼します」
「……はい、どうぞ」
 社長室のドアがノックされ、鬼瓦が応答するとひょこっと顔を出したのは専務の大熊だった。丸々とした体に丸々とした顔は見ている者を和ませるが、それ以上にびくびくおどおどしている態度は見ている者を苛つかせる。何とも絶妙なバランスで生きている男だ。大熊と長い付き合いになる鬼瓦は概ね前者に分類されるが、今日は効果がなかった。沈痛な面持ちで鬼瓦は「どうした?」と尋ねる。
「いえ、そろそろ桃田社長とのテレビ会議も終わったかな……と思いまして」
 大熊の声は、その大きな体に似合わず、蚊の鳴くようなボリュームでほぼ聞きとれない。鬼瓦はため息をついて、首を振る。その様子に大熊も事情を察したのか、顔色を変える。
「……だめだったんですね」
 鬼瓦は小さくうなずく。社訓である『勧善懲悪』を壁に掛けなおさなければ、と思うのに、その気力さえ湧いてこなかった。黙ってたたずむ大熊に、鬼瓦はつい先程まで行われていたテレビ会議の内容を報告した。

 
「桃田社長。今日はお忙しい中、お時間いただきまして恐縮です。いつもお世話になっております。いやあ、先日は海外の案件を成功なされたと小耳にはさみました。しかも宇宙を舞台にした壮大な物語だとか……」
『そういう前置きは不要。さっさと要件を、鬼瓦社長』
 せっかく並べたてたお世辞も一蹴され、鬼瓦は額の汗を拭った。ノートパソコンの画面いっぱいに桃田社長の顔が映っている。いつ見ても小生意気な憎たらしい表情だった。先代の桃田社長とは大違いだ。鬼瓦と旧知の仲である先代は人情味のあふれる、優しく穏やかな人柄だった。
 しかし、二代目の桃田社長は若くして父親の経営を継いだせいか、傲慢で冷たい印象が目立つ。先代が急逝したゆえのやむを得ない就任なのだから、鬼瓦はなるべく力になってやらねばと誓っていたのだが、二代目はそんな温情を突っぱねるように好き勝手振るまいだした。自分よりも何回りも離れている若社長に、鬼瓦はどう接していいか手を焼いていた。
「あの、ですね。以前お会いしたときも少しお話ししたのですが、御社との新規事業のことで……」
『断る。以上。では失礼』

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