小説

『BUGS CAPITALISM』澤ノブワレ(『変身』フランツ・カフカ)

ツギクルバナー

 朝、目を覚ますと暮来はカナブンになっていた。

 しかし、その事実は、暮来にほんの一時の混乱も絶望も与えなかった。それどころか、彼の心は踊り狂っていた。狂喜乱舞していた。
「ヒャッホオォウ!これで会社に行かなくて済むゼ!」
 意味も無く就業時間の2時間前には出社して訳の分からぬ精神論と声だしだけのミーティング。部下の一挙手一投足に揚げ足を取ってはネチネチと詰問してくる上司。恫喝すれば何でも通ると勘違いした取引先。終電の時間になっても終わりの見えない作業の山積。もう何もかもが限界だった。彼はその前の晩、ひたすら「虫になりたい」と願った。神様、お願いします。僕はもう人間であることに疲れました。どうか、どうか僕のことを虫にして下さい。何も考えず、木にしがみついて樹液を啜る虫に。私は虫になりたい。そう、私は虫になりたい。私は貝に……もとい、虫になりたい!

 そして性根の腐った神様は、彼の願いを叶えた。問題の本質には目もくれず、「ほれ、どうだ、叶えてやったぞ。」とでも言わんばかりに。

 虫になった者は、まずその躯を動かすことに苦戦するという。特別に要領の悪い者など、仰向けのまま何もできずに干からびてしまう。だが、小さな頃から友達がおらず、虫の観察ばかりしていた彼にとって、そんなことは問題にもならなかった。加えて、彼が変身したのが、小さな頃からずっとお気に入りのカナブンだというのも幸運だった。彼は思い切り両翼を広げると、左翼を右翼よりもほんの少し力強く縦向きに羽ばたかせた。そうして敷布団に対して垂直の力を加えると、初めてとは思えない鮮やかな180度体勢復帰を見せ、ニヤリとほくそ笑んだ。

 四畳半の片隅に時計が見える。9時40分。もうとっくに出勤時間は過ぎていた。彼は一瞬だけ上司の前に立った時と同じ、心臓の縮まるような感覚に苛まれたが、すぐに気持ちを持ち直す。大丈夫、何せ俺は虫になったんだ。虫に遅刻もクソも無い。会社に行く必要も無いんだ。枕元のスマートフォンのホームボタンを押してみると、何件もの着信履歴。会社の番号と上司の番号が画面一杯に羅列されていた。その下にも延々と履歴が並んでいるようだが、どうやら昆虫の脚ではスワイプ操作が出来ないらしい。何度かカリカリと画面を弄ってみたが、徒労に終わった。しかし彼の落ち着かない気持ちは収まらない。社畜の本能である。つまり、「別に黙って休めば良いのに、取り敢えず欠勤連絡を入れて罵倒されなければスッキリしない」というマゾヒズムである。

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