小説

『忘れえぬ訪問者』登石ゆのみ(『忘れえぬ人々』)

「いや、それどころか、器も同じ物だ」
「まさか」
 と驚きの声を出した中津は、手前の机に器がないことに気が付いた。
「おい、俺のお猪口はどこにいった?」
「しらないよ。私には自分の器があるんだから、わざわざ盗ったりは……」
 と春丘は自分のお猪口を示そうとしたが、それも見当たらない。
 そして、二つの顔が机の上から画面へとぐるりと向けられる。苔地蔵の前には、二つのお猪口が並んでいる。
「……」
「……」
 気のせいか、苔地蔵の口から、酒のような液体が垂れているのが見えた。
 再び、視線を机に戻すと、器はやはり見当たらず酒瓶の中身は空っぽになっていた。まだ半分ほど残っていたはずだった。
「……新しい器と酒を持ってこよう。普通のコップでいいね?」
「あ、ああ」
 春丘が部屋をいったん出てから、戻ってくるまでの間、中津はお地蔵様に手を合わせお祈りをしたあと、そっとパソコンの電源を落とした。ついでにテレビ画面の電源も切る。
 春丘が安酒とコップを持って戻ってきた。
「やはり外は冷えるね」
「まだ春になって間もないからな。酒で暖まろう」
「うん、そうしよう」
 にこりと笑った春丘は、安酒を囲炉裏の鉄燗の中にそっと流し込む。
 酒がいい温度になるまでの間、二人は保温ポットからコップにお湯をそそぎ、白湯をずずずっと飲む。二人でふーっと息を吐く。
「酒が温まるまでの間、読むかい?実はもう、あと一人なんだ」
「どうだろう。また何か起こったら……」
「最後は、美少女の話なんだが」
「読んでくれ」
 緩んだ襟元を少しだけ正して、中津が素早く返事をする。男とは愚かな生き物である。

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