小説

『忘れえぬ訪問者』登石ゆのみ(『忘れえぬ人々』)

 嵐の夜だった。机の形になった囲炉裏を囲んで、二人の男が酌を交わしていた。一人は宿の主人で、もう一人は常連の男だった。
 朽ちかけた木でようやく建っているような宿で、玄関や窓が暴風に煽られ、激しく音を立てる。それは夜が更ける毎に酷くなるようだった。ガタゴトガタゴトという音と共に、たまに天井からぱらぱらと土埃が落ちてくる。
 今日の客は、男一人のようだった。主人とは顔見知りで、たまにこうやって飲む。
 古い宿に取り残された中津は、窓をちょっとだけ開けて、外の荒れた闇を見上げてみた。すぐに窓を閉め、明日の早朝の出発を諦めた。
 囲炉裏の前に戻り、どかりと腰を下ろす。
「明日はまたここに滞在するかもしれない」
「だろうねぇ。まあゆっくりしていきなよ。明日も客はいないし」
 主人の脇には猫が眠っていて、それを撫でながら、宿の主はのんびりと応える。
「こんな夜はキミの領分だねぇ」
 しばらくの沈黙のあと、古宿の主がぽつりと言う。
 中津は案外その言葉で気をよくした。他人にはあまり興味がもてないが、そのときばかりは宿の主人に質問をしてしまった。
「春丘くんは、こんな夜は一人で何をしているのかね」
「だいたい、本を読んでいるねぇ」
 そういえば、廊下の奥に背の高い本棚があった。様々な本がぎっしりとつまっていた。
「あの立派な本棚のものは、全部読んだのか?」
「一応読んだと思うけれど……。ほとんど覚えていないな。はは」
「それにしてもあの量を全部読むとは中々すごい」
「暇なときは暇な商売だからねぇ」
「今までじっくり見たことなかったな。ちょっと見てきていいか」
「かまわないよ。酔ってるだろうから、転ばないようにな」
 宿の主人はご機嫌に酔っていて、ニコニコしている。そして、囲炉裏にかかっている鉄燗を持ち上げ、残りの酒の量を確かめるように軽く振る。外は相変わらずゴウゴウと風邪が吹き荒れているが、今にも倒れそうな家屋の主人は全く意に介する様子はない。
 中津は戸を開けて、ギィっとへこむ廊下板をゆっくりと踏みしめて、本棚にたどり着く。ここは外の嵐から隔絶されているようで、多分に静かである。

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