――倚子《いし》
天皇や高官の公卿が立礼の儀式中、腰をかける座具。奈良時代までは、胡床《あぐら》と呼んだ。
一条天皇《いちじょうてんのう》は、道長から献上された奇妙な倚子をつくづくと眺めた。黒柿や紫檀の木材を優美に組み合わせたものが、倚子の作りとしては一般的だ。
だが、その倚子は黒く艶やかな陶器で出来ていた。その形は奇異そのもので、二人の女が裸体を絡み合わせ、向かい合って接吻している。その女たちがお互いに絡み合わせた脚の部分が円状の形をしていて、貴人が座れる作りとなっていた。
その女たちの顔から、帝は眼が離せなかった。亡き皇后 定子《さだこ》の面差しに瓜二つなのだ。
その女たちの目は、妖艶に細められ帝を見つめていた。まるで、帝を誘っているように。
「何なのだ。この倚子は……」
帝は、忌々しげに吐き捨てる。この世で最も愛した女性である定子。彼女を、侮辱された心持ちになったのだ。
初めて中宮として取り立てた、女性。長徳《ちょうとく》の政変を受けて出家した身を還俗させてまで、一条天皇は彼女を側に置きたがった。
だが、彼女はもう亡き人だ。長徳の政変で身内が仕出かした天皇家への侮辱の数々。一度は出家した身でありながら、宮中に舞い戻った肩身の狭さ。そういった世の辛苦を一身に受け、彼女は次第に弱っていったのだ。定子が命と引き変えにこの世に残した媄子内親王《びしないしんのう》も、わずか九歳でこの世を去った。
媄子の死を受け、天皇は悲嘆にくれていた。もう一人の中宮である彰子《あきこ》が初産のため実家である土御門殿《つちみかどでん》に里帰りしているが、彼女を見舞う気力もない。そんな折、彰子の父道長から贈られてきたのが、この奇妙な倚子だった。
亡き定子を侮辱しているようにしか思えないこの献上品に、帝はふつふつと怒りを覚えていた。