小説

『かみかくし』薮竹小径(『草迷宮』)

「辞めた方がいいですよ。恐ろしいことになりますよ」
 しかしもう引き下がれない。そのため腕を振り払ったが、恐ろしいことが気になって足は先ほどの勢いを無くしていた。
「恐ろしいこととは」
「いえ、それは誰も知りません。ルールに反した者はいつの間にかいなくなるそうですよ。それにたしか、行き先を知るものはありませんよ。曲がり角などに矢印が書いてあって、その通りに進むのです」
「あなたは初めてではないのですか」
「中秋の名月の恒例行事になりました。もう随分と長い」
 小池苑を出た時は最後尾であったはずであるが、いつのまにか後ろには多くの人がいる。中にはまだ幼い子供もいるようで、きゃっきゃと楽しそうな声まで混ざっていた。
 商店街は抜けて、今は川に沿うように歩いている。歩く順番もいつの間にか決まったのか、決して抜く抜かれるがない。不意に前方から歌が流れてきた。最初は良くわからなかったが、歌が近づくに連れてはっきりとした。

行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

 近づくにつれて合唱は大きくなり、怪談男まで唄い出した。その光景は何とも恐ろしいものがあった。老人の絞り出すような歌声から、幼子の甲高い歌声が交じりあっている。つられるようにして、いつの間にか口ずさんでいた。

行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

 それでふっと昔を思い出した。幼い頃、祖母とよく散歩に出かけた。不思議なことに大好きであった祖母のことを、まるで忘れていたのである。
 両親が働きに出て帰りが遅かったので、遊んでくれるのはいつも祖母であった。祖母の家の庭に面した縁側で話をした。祖母は何でも知っていた。西日があたり、母が迎えに来ると、祖母に抱きついてよくぐずったという。保育園に預けられてからは、祖母が迎えに来るのを今か今かと待っていた。友達が出来なくて先生方に良く心配をかけたが、祖母は大丈夫ですよ、焦る必要ありませんと言ってくれた。

1 2 3 4 5 6 7 8 9