小説

『かみかくし』薮竹小径(『草迷宮』)

 少し口ずさんでみると懐かしい。この良くわからない細道も祖母に会いたいという強い気持ちのおかげで怖くない。
 何処からか金木犀の香りがする。満月が照らしてくれるので、草木が光っているように思われる。辺り一面に蛙が鳴いて、強い風が吹くと一斉に静まる。そうして風が抜けると、また鳴いた。後ろにはまだ鳥居を見ることができる。まだ戻ることはできるのだ、と心に思った。
 不思議とあの時忘れていた祖母の記憶が溢れるように、瞼の裏に映る。
「神隠しだ」神主が叫ぶと、神社に集まり酒盛りをしていた地域の大人たちが、真っ青な顔をして出てきた。
「お前んとこのばあちゃんか」
「しかしあのばあちゃんなんて随分歳だろう」
「これは珍しいことだ」
 泣いているところを誰かがおぶって家まで連れて帰ってくれたらしい。家に帰ると両親はもう帰っていた。
「怖かったね」と言い抱きしめてくれたが、祖母のぬくもりの方が何倍も恋しかった。祖母と一緒に消えた方がましであったと思ったが、ぐしゃぐしゃの顔をしている両親の前でそれは言ってはいけないという考えは七つの少年の頭にも入っていた。
 その夜、高熱を出した。幼いながら死を考えるほどであった。喉が渇いて燃えるようにうなされた。母が濡らしたタオルを額に乗せてくれたが、何度も取り替える羽目になった。そうしてその熱によってか、なにか未知の力によってか、当時の記憶は今の今まで、すっかり綺麗にしまわれていた。

 男がいた。月明りに照らされてじっとこちらを見ている。何処かで見覚えがあるが、いまいちよく見えない。近づくにつれて顔かたちがはっきりし、にやにやと笑いながら喫茶店を出て行った男の顔を認めて、ぞっとした。
「こちらですよ」男が言った。
 無視を決め込んで横を通り抜けようとすると、「あなたは神隠しにあった祖母に会いたいということで間違えありませんか」というので驚いて男の顔を見た。男は鼻歌で『とおりゃんせ」を奏でている。
 男は歩き出した。仕方なくついて行くことにした。
「あなたが百物語を企画したのですか」
「百物語。そういう名前がついているのですか。まあ、確かに人それぞれ物語を持っていて、百人いれば百個の物語がある。いい名前を付けてもらいました」
「話が良く見えませんが」
「人それぞれに物語がある。私はそれを提供しているだけですよ。例えばあなたには『とおりゃんせ』が聞こえたでしょう。だが他の人には聞こえていません。他の人はそれぞれ他の曲、誰かの声が聞こえているでしょう。その聞こえてきたもので何かを思い出せれば、それを思い出す手伝いをします。しかし思い出さなければそのままですけれど」男は少し足を早めて続けた。「それであなたは祖母を思い出した。だから祖母に会わせてあげましょうと言うことですよ」

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