小説

『ミスター・ワンダフル』中村吉郎(『クリスマス・キャロル』チャールズ・ディケンズ)

 すずは、手にしていた箱の包みを開けて、ケーキの箱を出した。蓋を開けると、中から出てきたのは生クリームがベースのクリスマス・ケーキで、「メリー・クリスマス!ミスター・ワンダフル」の文字が書かれたチョコレートが添えられている。
「これは、あの日のケーキか?」
「30年前のケーキなんか持って来る訳ないでしょう。今日できたばかりのケーキよ」
「メリー・クリスマス!すず!」
「勝がメリー・クリスマスって言うなんて、何年振りかしら」
「30年振りだよ。君がいなくなってしまったから、今日迄この言葉は封印して来たんだ」
「ありがとう。そして、長い間、お疲れ様でした」
 すずに「お疲れ様でした」と言われると、勝は、本当に今日で自分の人生が終わってしまうのではないかと感じた。丸井さんに言われた時には全く感じなかった気持ちだった。
「考えてみれば、君がいなくなってからの俺の人生は、いろいろな人の最後に立ち会いながら、君を弔い続けていた様な気がする」
「積もる話は私の方でも沢山あるのよ。話も積もるけど、外は雪も積もって来たのよ」
「本当か?」
「あの日もそうだったわね。クリスマス・イブに雪が積もって、ホワイト・クリスマスだった」
「そうだったな」
「少し、外を歩きましょうか」
「そうだな。積もる話を、積もる雪の中でゆっくりしようじゃないか」
 勝はすずの手を取り、オフィスのドアを開けて2人仲良く外に出て行った。時刻は、ちょうど夜中の12時を回る頃で、イブからクリスマスに日付が変わるタイミングだった。

 夜中の2時を回った頃、郊外でのお通夜を済ませて車で帰宅途中の、往生寺の慈元和尚は、「ありがとう式典」の前を通りかかり、オフィスの電気が点いたままになっていることに気がついた。海老名勝がこの時間に徹夜で仕事をしているのは珍しいことではない。慈元和尚は、車を停めて、オフィスに立ち寄った。ドアホンを鳴らしても誰も出てこないので、ノックしてドアに手をかけると、ドアには鍵がかかっておらず、そのまま開いた。中に入ると、海老名勝がソファに身を沈めて、彼が初めて見る笑顔で眠っている。いや、眠っているのではない。日々ご遺体と接している慈元和尚は、勝が永眠していることがすぐにわかった。自分は、帰宅途中にここへ呼び寄せられたのだと感じた慈元和尚は、長年の付き合いである勝が永眠するソファの前に正座し、謹んで枕経を唱えた。読経後、テーブルの上を見て、和尚は驚いた。そこには何故か、今日、自分がパティスリーに予約したばかりの、「メリー・クリスマス!ミスター・ワンダフル」の文字が書かれたチョコレートが添えられたクリスマス・ケーキが置いてあった。

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