小説

『羽化の明日』木江恭(『幸福の王子』)

ツギクルバナー

 私が桐子を見つけたのは、駅前の雑居ビルの前だった。
 桐子が気だるげに髪を耳にかけながら自動ドアを出てくるところで、私たちは目が合った。どきんと心臓を高鳴らせる私を他所に、桐子はふっと目を逸らして私の前を通り過ぎようとする。私は慌ててその袖を掴んだ。
「トーコ」
 桐子は吃驚した顔で振り返り、それから私に掴まれていない方の手で、小さな耳から伸びた細いコードをゆっくりと引っ張った。
「聞こえてなかった。ええと、同じ学年、だよね」
 桐子の目は、私の制服のリボンを確かめている。桐子と同じ臙脂色。
「ほかのクラスの人のこと、あんまり覚えてなくて。ごめん、私に何か用かな」
「い、いいんだ。私が勝手にトーコを探していただけだから」
 やっと会えた。話が出来た。目の前に桐子がいることが嬉しくて、舌が上手く回らない。
「あの、お願いがあって。私と、友達になってくれないかな。一ヶ月でいいから」
 桐子は切れ長の一重瞼を少し眇めて、ゆったりと首を傾げる。
「ごめん、ちょっとよくわかんない」
「私、ずっとトーコと仲良くなりたかった。変なことを言っているのはわかっているけど、友達になって欲しい。一ヶ月したら、私はいなくなるから、それまででいいから」
「何それ。転校でもするの?」
「うん、まあ、その」
 言葉を詰まる私を不思議そうに見てから、桐子は溜息を吐いた。
「まあ、いいや。何処かで座らない?献血したばっかりで、ちょっと頭クラクラするし」
 白いというより青いという方がぴったりくるような瓜実顔の下半分、困ったように微笑んだ唇だけがぽっと赤く、私は上の空でそればかり見つめている。
 桐子と私が初めて言葉を交わした、夏休み前日のことだった。

 桐子の夏休みは忙しい。
 午前中は図書館で課題、午後は丸々バイト。或いはその逆。時には一日中バイトのシフトを詰めていることもある。私は私で、門限は日没。日が暮れる前には滂沱の涙を呑んででも帰らなければならない。結局私たちは、図書館の静まり返った自習室で肩を並べ、休憩時間に外をぶらつきながら喋り、夕方には手を振って別れることを繰り返している。

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