小説

『泣いた赤鬼が出来るまで』高橋真理(『こぶとりじいさん』)

 与兵衛はいらいらしていた。
 なぜなら手桶にうつる自分のほっぺたにでっかいこぶが出来ているからだ。そしてそれを近所の子供にバカにされたのだ。
 よーへーえ、よーへーえー、左のほっぺのこ―ぶーに、つまっているのはなーんだー♪
 いつだれが考えだしたのだろうか、子供たちはでたらめな節をつけて囃したてる。ふざけるな!と与兵衛が大声で怒鳴りつけると今度は蜘蛛の子を散らしたように逃げ出すのだが、その時も歌の続きを忘れない。
 うじむし、みのむし、だんごむし、こぶを破ってでてくるぞーーー!
 まったく、そろそろ堪忍袋の緒が切れる。今度こそつかまえてこっぴどく叱ってやらねばなるまい。
 与兵衛は手桶の水をざぶんと自分の顔にかけるとごしごしと邪魔なこぶをこすった。
「あらあら、与兵衛さん。また子供たちにからかわれたんですかい?」
 声の方をみると勝手口に長屋の隣に住む酒屋の女房、おさきが小さな鍋を持って立っていた。辺りには魚の煮付けの匂いが漂っている。いつもおさきは独り暮らしの与兵衛のために店で余ったおかずなどを持ってきてくれるのだ。
「む、いつもすまぬ」
「いいんですよ。それにしても与兵衛さん、子供たちの言うことなんて気にしなさんな。一つ向こうの八兵衛さんなんて右のほっぺにでっかーいこぶがあるけどまったく気にしてないじゃありませんか。気にしないことが一番の薬ですよ」
「そうはいうが、気にしてても気にしてなくてもこぶはなくならないじゃないか」
「だったらなおのこと気にする方が時間の無駄じゃぁありませんか」
 そういっておさきは「ほほほ」と笑うと、土間に鍋を置いてさっと出て行った。与兵衛はため息をつきながら左のこぶをするっとなでた。
 さて一方の八兵衛は、薪になるような乾燥した小枝を集めるため森の奥に来ていた。
 ひょいとかがんで小枝を拾い、よいしょと背中のしょいこの中に放りいれる。そのたび右のほっぺのこぶがぷるぷると震える。
「はぁ、このこぶめ。昨日も近所のガキに馬鹿にされちまったわぃ」
 耳の奥にはまだ八兵衛を囃したてる歌声がこびりついている。
「これこれ、むやみに人の事をからかうんじゃないよ」
 八兵衛はいつも笑いながらなだめるのだが子供たちは聞く耳もたない。近所の人には「八兵衛さん優しんだから。もっとがつんと怒らないと、与兵衛さんみたいにさ」と言われる。本当は腹が立たないどころかいつだってはらわたは煮えくりかえっている。こぶのせいで縁談も断られたし、ろくな仕事にもつけやしない。寝る前には死んだ両親のこぶのない顔を思い浮かべては「ちくしょう、ちくしょう」と繰り返すのだ。でも、そんなことを口に出したら村人みんなに嫌われてしまう。子供相手にどなり散らして大人げないよ、と言われてしまう。それが怖くていつもにこにこ笑顔をはりつけているのだ。
 と、雨が降ってきた。小枝を拾う手を休めて、木のうろにもぐり込む。森の中の兎がうろのなかに一緒に入りたそうにこちらを見ていたが、八兵衛は手を振って追い払った。

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