小説

『ランプ屋』林ミモザ(『こぶとりじいさん』)

「…これさえ、なければなあ」
 出勤前の慌ただしい身支度を整えながら、今日も美咲は鏡に映った自分の顔を不満げに見つめる。
 そのこぶは左の頬骨のすぐ下に、ごく慎ましげな佇まいでぽっこりとあった。
 美咲の肌は北欧人の血が混ざっているかのように白く、頬はほんのりとバラ色に染まっている。
 長い睫に囲まれた大きな瞳。すっと伸びた細い鼻梁の先は小さく丸く程よい愛嬌があり、唇はふっくらとみずみずしい。
 それだけならば本当に、この顔は文句なく美人の範疇に入ると言えるのだろう。
 けれど彼女の片頬に生まれついてある小さなこぶが、その仕訳の境界をいつも危ういものにしていた。少なくとも彼女自身はそのために、自分の容姿にまるで自信が持てないでいるのだった。
 中学生になって間もない頃、ちょうど思春期を迎えた頃に一度、彼女はこの異物と永遠の訣別をするべく切除手術を受けた。その時医者は、これはちょっと脂肪が多く集まっているだけだから切ればすぐに治りますよと事もなげに言ったものだったが、その手術から僅か半年後にはまたいつの間にか、すっかり元に戻っていた。原因は謎のままだった。しかし放っておいてもそれ以上大きくなる様子もなく、特に健康上の心配はないと言われ、以来二十六歳になる現在まで、彼女のこのこぶは放置されてきたのである。
 両親も友人たちも皆、たかだかこぶくらい何も気に病むことはないのだと美咲を励ましてきた。特に一人娘を厳しく優しく、大きな愛を持って育ててきた母親は常にこう言って聞かせてきた。
「疎ましくたって自分の体だもの、人を憎むよりよっぽどいいよ。心に妙なこぶができるよりはずっとましさ。美咲、お前は幸運だったと思わなければいけないよ」
 けれど年頃の彼女がその言葉を受けとめきれるには、まだ時間が必要だったかもしれない。親指と人差し指でマルを作って頬にあてがうと、こぶはすっぽりとそこに収まる。美咲は毎日口癖のようにつぶやいていた。
「あーあ。取れないかなあ」

 美咲は大手文房具メーカー支社の営業担当として、忙しい毎日を送っている。
 今日はいつもコンビを組んでいる珠美先輩が急に欠勤した。それでもすでにアポイントを取っている得意先回りを断るわけにはいかない。あまりないことだが、一人で会社を出た。
 いつもならベテランの珠美先輩と二人一組でこなすので、ぎっしりと詰まった予定でもそう苦にはならないのだが、今日に限って行く先々でややこしい相談を持ちかけられ、帰社予定が大幅に遅れそうだった。美咲はあと二店舗を残したところで、今日はそのまま直帰させてほしい旨を会社に連絡した。
「やっぱり珠美先輩がいるといないじゃ大違いだなあ…」
 空は重たく灰色に澱んできていた。夕方からは雨になるという予報は当たりそうだった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10