小説

『背伸び、しない!』原豊子(『狐と葡萄』)

「御社を志望した理由は―……」
 私の人生、今までなんだかんだ楽をして乗り越えてきた。中学はそこそこ頭のいい私立の女子校に、定員割れですんなりと入学した。一貫校だったので、もれなく高校受験もなく、クラス分けテストを行っただけだった。しかもすでに中学校三年間で出来上がった順位の中で行っただけだった。高校三年生を迎えて、世の中の受験生が血眼になって勉強しているときも、廊下に張り出された指定校推薦を一番に考えた。頭のいい先輩が、大学で優良な成績を収めてくれたがために存在する、関東の有名私立大学の枠。幸いにも素行がよく成績もまずまずだったため、課題作文を六百字書くだけで、試験会場に足を運ぶこともなく第一志望の大学に入学した。
 そんな、手の届く範囲でまずまずの満足を得てきた私が、今初めてはるか私の背丈よりも高い所にたわわと実った果実をぎりぎりと見つめていた。
 紺野芹香、大学四年生、春。第一志望は出版業界―……。

「駄目だ、絶対駄目だ」
 大学のラウンジ、いつもの私たちのおしゃべりの場所。春休み期間で新学期はまだまだ遠いため、お昼時でもそこは閑散としていた。ときどき目につくのは、黒いスーツを着た就活生ぐらいのものである。
「そんなこと言いなさんなよー、筆記は私より受かってるじゃん」
 都内の某ビルで行われた紅葉出版の面接時間が二人とも午前中だったため、あらかじめ深谷とここで落ち合う約束をしていた。彼女も私と同じ出版業界志望のため、志望企業は激かぶりしている。
「全然私の面接、深谷みたいな感じじゃなかったもん」
 冷たい木のテーブルに頬をつけ、切れ長の、いかにも理知的に見える深谷の美貌を見やる。高校大学とミスコンを制した上に、学部では三指に入る頭脳。先の震災の時には「ちょっくら汗かいてくる」と発生した次の月にはボランティアに行き、その癖に授業の欠席は一つもつかなかった根回し上手だ。放送研究会に入っていたから、てっきりアナウンサーにでもなると思っていたのに。ええい、大学一の友人ながら一から唱えあげるとなかなか忌々しい経歴だ。
「それに筆記だって、深谷風邪気味だっただけじゃん。ううー、やっぱり失敗はあのうんこだ!」
 筆記の後の第一次個人面接だった、今回。ES地獄で「たまには息抜きも必要だよね」と紅葉出版のESの自己PR欄に、うんこのキャラクターを描いていた。よく、暇な授業中に深谷のレジュメの裏に描いてたやつ。たれ目でにっこりと笑う大きな口が印象的な、四肢の生えたうんこだ。カチコチバージョンと下痢バージョンもいて……と、これはまあいいとして。それを、自由記入欄に大きく描いてしまっていたのだ。あろうことか、そのESが通ってしまい、課された筆記試験にも通ってしまった。そして、面接官五人対私一人のやや圧迫気味の面接で、右から三番目のきつそうな女性に、尋ねられたのだ。
「これは……この、非常におかわいらしいキャラクターは、なんですか」、と。
 そんなもん、見ればわかる。うんこだ。あんたも毎日出してるだろ―……ESが通ったのだから、クスリとぐらい笑ってくれるだろうと思っていた私は、彼女の突き放すような(しかしそれならなぜそこに突っ込んだのか今でも謎だ)声色に、思わず、
「うんこです」
と、馬鹿正直に答えてしまったのだった……。
っあー!

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