小説

『HANA』結城紫雄(『鼻』 芥川龍之介)

「むこうもビックリしてさー、バイト期間終了してからもずっと検査の連続だったよ。でもお姉ちゃん胸が大きくなっただけで何も病気とかしてないしさー、おまけに彼氏できるし、めちゃくちゃモテだしたみたいだし」
 なんだかカルト宗教の勧誘みたいだ。
「じゃあ、この薬の『D』ってのはDカップのD?」
「いや、『DEKAPAI』のDじゃね?」
「リツはバカだな、『DOUMINZAI』のDだろ」
「うーん」
 私は唸った。リツの話を聞く限り、試してみる価値が全く無いとは言えない。むしろ、怪しげな通販よりもよっぽど信用できる。製薬会社の治験で配られた薬だし、そんなに危険なものでもなさそうだ。
 しかし問題はまた別のところにある。今まで「胸なんて気にしておりません」という毅然とした態度を貫き通した私だ。はあそうですか、と言って薬を飲むのは簡単だが、それでは癪というか、何よりも自尊心が許さない。
「やっぱ、私やめとく」
「えーなんでよ」
「そんな危ない薬飲めないし、私はこのままで十分なの」
「うそだー」
 リツの一言に私の心臓がドクン、と大きく音をたてた。
「ハナいっつもブリ&トラの『ペチャパイ』いれたらさー、トイレとかドリンクとか言ってどっか行っちゃうじゃん。ホントは気にしてんでしょ?」
 コイツはアホそうな顔をして案外あなどれない。腋に汗がつたうのを感じる。
「気にしてないってば」
 あくまで冗談ぽく流したつもりだが、動揺が伝わっているかもしれないと思うと不安がこみあげてきた。頬が火照っているのがわかる。ほぼ空のグラスを手にとり、底にたまった氷をじゃりじゃりと口に流し込む。
「そういえば」口で氷を転がしながら、ふと疑問が浮かんだ。
「一回分が三錠って言ってなかったっけ? 残り二錠はどうしたの」
「ハナは飲まないんでしょ、関係ないじゃん」
 なぜかリツはニヤニヤしている。ヒカリとキョウコも心なしか口元が緩んでいるように見えた。一体どうしたというのだ。
「……なによ。三人とも気持ち悪い」
「一つは、ここ」ヒカリが手を開くと、同じ「D」の錠剤が見えた。
「なんじゃそりゃ、ヒカリも貰ったの?」
「違うの。三つともハナのだよ」
「で、もう一錠は?」
「もう一つは、そこに入れた」キョウコが指差したのは、あろうことか私が手にしているグラスだった。ゴクン。
「ぎゃー!」私は悲鳴をあげた。グラスは空っぽだ。飲んじゃったよ! 
「それじゃ、今日帰ってあと二錠飲んでくださいねーお大事にー」
「何すんのよ!」思わず大きな声が出た。半分本気、半分ポーズで。
「ああでもしなきゃ、ハナ飲まないじゃん」
「もう飲んじゃったんだから、一錠も三錠変わんないって」
 呆然とする私に、リツとヒカリが残りの錠剤を投げてよこす。
 私はため息をついた。結局怪しい薬を飲むはめになってしまったのである。しかし実際は、三人で「私が仕方なく薬を飲むシチュエーション」を作ってくれたのだろう(多少の悪戯心はあったとしても、だ)。つくづくコイツらあなどれん、と思いつつ、ほんの少し彼女たちに感謝した。
「よーしじゃあ『ペチャパイ』歌って帰るか!」
 人の誕生日なのにデリカシーの無いことこの上ない。結局、「ハナがDカップになったらもう歌えないじゃん」とせがむリツに負けて、最初から最後まで熱唱した。本当に最後になりますように、と念じながら。 

「でろーん」「でろーん」
 キョウコとヒカリがふざけて胸を触ってはキャアキャアはしゃいでいる。
「だからデロンじゃなくてボロンだってば」
 苦笑いしながら、右の肩を揉む。最近、生まれて初めての肩こりに悩まされている。しかしその痛みすら今は愛おしい。
 私の胸は今やリツ、キョウコ、ヒカリの誰よりも大きい。薬の効き目はてきめんだった。錠剤を飲んだ翌朝のことは今でも鮮明に思い出せる。あの夜はやけに寝苦しかった。六時間は寝たはずなのに、起きると体が前のめりになりそうでフラフラした。スリッパをはこうとすると、視界から足が消えていた……全てが己の胸のせいであり、しかもそれが一夜にして起こったことだという事実を認識するためには、少々時間が必要だったのである。

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