小説

『HANA』結城紫雄(『鼻』 芥川龍之介)

 当然スポブラには収まりきれないので、慌ててリツに連絡し、その日は彼女のブラを貸してもらうことにした。しかし彼女のブラでもきつかったのだ、おそらくFカップはあるだろう。Fカップ! なんと柔らかそうな響きであることか。
 私は一週間たった今でも、暇さえあればそっと胸をなでてみる。秋も深まり、冬服のブレザーを着ることが多いのだが、その厚手の生地の上からでもはっきりとした存在感を放っているのがわかる。大丈夫、今日も縮んでいない。薬を飲んで数日間は、噂を聞きつけた隣のクラスの生徒がわざわざ覗きにきたり、体育教師がやけに馴れ馴れしくなったり、生まれて初めてナンパされたり、Tシャツがほとんど入らなくなったので買い物に出かけたり、とかなり慌ただしい日が続いたが、最近はやっと落ち着いてきた。
 周りの反応は(キョウコなど、初めは驚きのあまり声すら出せなかったほどだ)次第に薄くなってきたが、私の日常は段々と輝きだした。服や下着を選ぶのも楽しいし、早くも来年の夏が待ち遠しくてたまらない。何より自分に自信がついた。顔やスタイルは元から悪くないし、頭もいい。ここに胸が加わったのだ。鬼にカナボー、私にニューボーだ。リツたちから「ハナ最近顔も可愛くなった」と言われるが、やはり精神面の充実というのは外見に反映されるものなのだと実感する。
 豊胸効果の影響かどうかは分からないが、隣の男子高校生に告白され付き合い始め、私の日常はこれまでにないほど充実していた。そしてその幸福は、永遠に変わらないように思われた。

 ところが一か月も経たないうちに、私は意外な事実を発見した。
 胸が大きくなってから数日間、私が廊下を歩くと友人はもちろん、話したことのない生徒や教師まで驚きの表情を見せた。言葉を交わしたことのある生徒であれは暫し驚いた後、どんなサプリを飲んだかを聞きたがり、「すごいじゃん」などと素直に称賛の言葉を口にした。しかしそれも一、二週間程度のことであった。「ハナが巨乳」という意外性が無くなるにつれて、彼女たちは明らかに私を嘲笑するようになったのである。最初は気のせいかとも思ったが、廊下を通る度に背後でくすくすと笑い声が聞こえる。いつも一緒にいたはずのヒカリやキョウコ、リツまで同じ素振りを見せるようになって、私ははたと困惑した。
 私は初め、急に胸が大きくなったせいだと思った。しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。勿論、彼女たちが笑う原因は、そこにあるのにちがいない。けれども同じ笑うにしても、胸がぺたんこだった昔とは、どことなく様子が異なる。見慣れた貧乳より、見慣れない巨乳が滑稽に見えると言えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。
(前はあんなずけずけ笑われなかったのに)
 私はこう呟くことが増えた。そのように考え出すと、授業中でも遊んでいる時でも気が滅入ってしまうのだ。しかしその時の私に、その原因が分からなかったのも無理はない。
 笑いというのはある意味残酷だ。TVに映る不細工なお笑い芸人を見て笑う。あんな顔で可哀そう、自分だったら絶対自殺するな、と多少同情しつつも面白いものは仕方がない。あるいはクイズで頓珍漢な回答をして、顔面粉まみれの罰ゲームを受ける芸人を笑う。可哀そうであるが自分は関係がない。ゆえに面白い。より不細工な方が、より酷い罰ゲームの方が興をそそられる。
 これはいじめの傍観者の心理と非常に似ているのかもしれない。極端な話、お笑い芸人はクイズに正解することを求められていない。彼らがTVで恥をかかないと、視聴者は物足りないのだ。もっと失敗しろ。もっと恥をかけ。なぜなら、私たちには関係ないから。
 第三者的立場のエゴイズムとは、かくも残酷なものである。私がなんとなく不快感を覚えたのも、このエゴイズムを多少なり感じ取ったからに他ならない。

 キョウコと喧嘩した日から、私の機嫌はどんどん悪くなっていった。少しでも触れれば爆発しそうなほどにである。どうせ爆発するなら両の胸が木端微塵になって元の平地に戻ればいい、とさえ思っていた。喧嘩の原因はそれほどまでに最悪である。私が告白された男子生徒は、あろうことかキョウコの元カレだったのだ。彼は私の胸と比べて、元彼女であるキョウコの胸を散々馬鹿にしたらしい。私の胸が一か月前までどんな様だったかも知らず。
「あんたなんかドーピングしてるくせに!」とキョウコはわめき散らしたが、とんだ逆恨みである。
 私の豊胸が薬によるもの、という噂を耳にしたのはその後である。例の錠剤を知っているのはリツ、キョウコ、ヒカリの三人しかいない。私は激怒し、三人を問い詰めようとしたものの、女子高の噂のスピードには勝てず、あっという間に私はゲートウェイ・ドラッグ常用者からヤク中、あげくにシャブ中までランクアップしてしまっていた。
 私はいい加減、大きな胸が恨めしくなった。

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