おじさんは手帳とペンをおもむろに出して、地図を書くと、バスの時刻とバス停までの道のりのメモを切り取って渡してくれた。
「今日はさぼりだな。ラッキーだと思ってまた明日から頑張りな。じゃあな」
おじさんが立ち去ろうとしたので
「子供って…手のかかる子ほどかわいいものなんですか」と
鞠子は自分でも思ってもいない言葉が口から出た。言った後に妙にどぎまぎした。
おじさんは表情を一切変えずに
「可愛いな」と言って、ほんの少し眉を下げながら「でも、手のかからない子も可愛いな」と、まるでひとり言みたいに呟いた。
おじさんが再び歩き出そうとしたので「ありがとうございました」と鞠子は小さな子供みたいに肩をすくめてお礼を言った。
おじさんが教えてくれたバスはちょうどぴったりの時間にきた。
バスの中は空いていて、鞠子は窓側の座席に腰を下ろした。
紺と白のジャージが妙にバスの色と合っていて鞠子はなんだかおかしくなってにやけていると、隣に座っていいた主婦らしき女性がちらりとこちらを見たので、慌てて窓の方に目をやった。
ぽつりぽつりと雨が順番に窓に張りついていた。
鞠子が何事もなかったように家に居ると、母がパートから帰ってきた。
「あら。今日早いね。」
「うん。受験も近いから短縮授業」
「あら!そうだったっけ。へぇ」
母はいそいそとエコバッグからトマトやら白菜やら肉やらを取り出し、冷蔵庫に入れている。
スラスラと嘘が言えるようになって、鞠子は急に自分が大人になったような気がした。
「今日はから揚げにするよ。好きでしょ、鞠子。から揚げ」母がニヤリと微笑む。
次の日の朝、鞠子は少し早起きをした。
階段を下りると、化粧っ気のない母が、朝食の目玉焼きを焼いていた。
鞠子に気付くと「早いのね」と野菜を切ったまな板を洗い、無駄のない動きをしながら微笑んだ。
準備を整え勉強道具を鞄に入れると、足早に家を出る。
いつもより1時間早いバスを待っていると、予定時刻より早くにバスがくるのが見えた。
行き先を示す電光掲示板はよくよく見ると「霧幌駅行き。米沢経由」と小さな文字で書いてある。
あぶない、あぶない。もう騙されないからね。バスが発車し、鞠子が若干勝ち誇った気になっていると、バス停側の窓に、手書きで「春田高校には停まりません」と書いた紙が貼ってあるのが見えた。決して上手とは言えないけれど、白い紙で、黒ペンで書かれ、下に赤で下線が引いてある。鞠子はなぜか笑いたいような、泣きたいような気持になった。
バスが発車し、どんどん小さくなっていくバスの背中を見つめながら鞠子は深々とお辞儀をした。