予想通りの、ヒステリックな金切り声。いいや、違った。改めて聞いていると、母は、穏やかな声の持ち主であった。
「いま、どこにいるの」
二度目に訊かれたタイミングで、思い切って答えてみた。
「ホテルに泊まってる。大丈夫だから、心配しないで」
側にいたのだろう、やや間を置いて、今度は父親の声がした。
「夕飯は食べたのか」
「食べた」
「ちゃんと眠れそうか」
「はい」
「何か、言いたいことはないのか」
見抜かれている。そう気づいたとき、飛悠はもう、自分を偽ることをやめた。
「明日の試験、受けないことにした」
父のため息は思いがけず、安堵のそれに聞こえた。
「いいんだな」
「はい」
「大空を悠々と飛べますように。お前の名前は、俺と母さんで考えたんだ」
飛悠は、携帯電話を握り締めた。
「好きにしろ。そのかわり、一人前になるまで、家には帰ってくるな」
言葉とは反対に、いままで聞いた中で、一番優しい、父の声だった。
「いままで、有難うございました」
通話が切れた後も、飛悠は携帯電話を握り締めた。感謝の気持ちを込めて。何度も、何度も。
そして、言い訳ばかりで本当の自分に向き合ってこなかったことに、飛悠はようやく気が付いた。
翌朝。六時二十分の日の出に合わせて、三人はテーブルで落ち合った。誘い合ったわけでも、約束をしたわけでもないのに、当然のような顔で、また、共に座った。
「おはようございます」
飛悠はすっかり落ち着き払っている。
「おはよう」
真美はすっきりした顔をしている。
「おはよう」
明夫は力強い声を出した。
ドリンクバーと朝食ビュッフェ。対面式で焼いてもらったパンケーキやオムレツが、ほかほかと湯気を立てている。
「連絡先は、交換しない方がいいわね」
真美の提案に、ふたりは異を唱えない。
また、この場所で。言葉に出さなくても、ちゃんと分かり合っていたから。
チェックアウト後、飛悠は暖簾をくぐった。野球ボールが消えて文庫本が加わった、大きめのスーツケース。それは、真冬の寒さの中でぴんと背筋を伸ばす飛悠に、とてもよく似合っていた。