濃紺ののれんがかかっていた。西野が引き戸を開けると、海のにおいがした。それと、甘酸っぱいようなにおいも。西野の家は、代々続くお寿司屋さんなのだった。
窓に近づいて、町を眺めてみる。ビルが所狭しと並んでいる。長い編成の電車が走っている。トラックが何台も大通りを走り去っていく。
「とうとう、きてしもたんやねえ……」
おなかの中心が、きゅっとなる感じがした。へとへとになってしっかり眠ったわたしのからだには力が戻ってきていて、一緒に、じわじわと心細さもやってきた。不安になるのにも、多少のエネルギーはいるものなんだなあ、と気づく。
高層マンションの最上階を、目をこらして見つめてみる。あそこにも誰かが住んでいるようだけど、忘れ物をしたら、取りに戻るのにどれくらいかかるのだろうなんてことを思う。ずらずらずら、と、同じ角度で、窓が並び、ベランダが並び、階段が並んでいる。じいっと見ていると、目がくらみそうになる。
なんだか、窓枠の数だけ、この町で生きている人の存在を感じる。それでいて、その人たちはみんなコンクリートの建物や、乗り物に囲まれて姿が見えない。
今この瞬間、まだ眠っているのか、それともトーストを食べているのか、わたしには知る術がない。
実家の窓からは、何が見えていたっけ。何もない町だった。でも、隣のチエちゃんちの犬は見えた。チエちゃんの笑い声が聞こえるときもあった。
家屋沿いの小道の脇にはザクロの木があって、実がなる時期には道路に落ちたそれを拾いにいった。
ある日、二、三個のザクロを拾い集めていたとき——確かあれは中学生になるかならないかの年だった——、ふと顔を上げると、西野がわたしの家の玄関の前で、中をうかがっているのを見つけた。もう夜も近いのに、ランドセルを背負っていた。寄り道して帰ってきたんだ、どうせ。と思った。
少しためらい、近づいていくと、西野はハッとわたしに気づいて、抱えていたものをずいと差し出した。大きなお皿だった。ラップがかけてある。
「これ、つくりすぎてしもたから、かーちゃんがもってけって」
「……こんなにくれるん?」
「ウチ、魚はいっぱいあんねん」
「お寿司屋さんやから?」
「うん」
西野のからだからは海のにおいがした。甘酸っぱいにおいも。
いつもそうなので、一度尋ねてみたことがある。西野は、「しらん」と言った。西野のお母さんは、「ごめんねえ、魚臭いよねえ、ウチには魚と酢飯しかないのよお」と言った。「いいにおいです」とわたしが言うと、西野のお母さんは「あらァ」と笑って、西野は何も言わなかった。わたしから目をそらして、きょろきょろとしていた。わたしはそれがなんだか、嬉しかった。
「ありがとう」と、西野の手からお皿を受け取ろうとしたとき、わたしは片方の手にひとつザクロを持っていたので、それをどうしようか一瞬の迷いがよぎった。その瞬間に、西野も勢いよくわたしにお皿を寄せたために、わたしもあわてて手を差し出し、お互いの両の手がぴったりと触れ合った。