頬や腕とこすれあうその感触に、ふっと目を覚ました。小学生の頃から使っているタオルケットの、つぶつぶした感触ではなかったから。それは糊のきいた、まっしろで清潔なシーツだった。ベッドサイドのテーブルについているデジタル時計には、「AM7:20」と表示されている。
深く眠っていたので、しばらくぽかんとしていた。ぐうーっと手足を伸ばす。草原の彼方まで駆けていったひつじたちが、またゆっくり小屋の中に集まってくるように、少しずつ、昨日のことや、ここにいること、わたしがわたしであることが、分かってくる。ここはわたしの家ではないんだった、さらに言えば、わたしの町でもないんだ。
「こちらが朝食のチケットです。この土地の食材を使った料理ですので、お楽しみくださいね」
昨晩、わたしはちいさく「ハイ」と言ってフロントでそれを受け取った。ひとりきりでホテルにチェックインするのは、生まれて初めてだった。
絨毯をぱふぱふと踏みしめ、部屋番号の「602」を心の中で唱える。カードキーの向きを確かめ、そろりと扉に差し込む。かち、とささやかな音がしたとき、わたしはなんだかそれだけでちょっぴり、大人になったような気がしたのだった。
「とうとう、きてしもたんやねえ」
ふかふかのベッド、大きな窓、こまかな草木柄の壁紙。隅々まで整えられたしずかな客室の中で、わたしはぽつんとこぼした後、すぐにベッドに足を投げ出し眠ってしまった。ひどくくたびれていたのだ。
わたしは春が来たら高校を卒業し、生まれ育った小さな町をはなれ、都心の大学へ入学する。昨日は一日中、春から暮らす町で新居を探し、そのまま、その町のホテルに泊まった。今日は入居の手続きまで進める予定だ。
からだを起こして窓の外に目を向ける。
ここはわたしの町ではないけど、やがて、もう間もなく、わたしの町になる。こまかな雨が降っている。
「俺があの店、継がんと」
ふと、西野の横顔が思い出された。あの日も、こんなひっそりとした雨が降っていたからかもしれなかった。
階段の踊り場を掃除していたときのことだった。箒の柄を握る西野の手には力がこもっていて、指にはささくれがたち、手の甲は粉が吹いたように乾燥していた。
「俺があの店継がんと。そりゃあ時々、これでいいんかって思うときもあるけど、でも、夜中に仕込みしてる親父の姿見て、寝て、朝起きて、ぽかーんとしてるときに、ふしぎと、ああ、俺が継がんとなあって思う。結局、そこに行き着くねん」
西野は小学生の頃からの同級生だ。初めて西野の家に遊びに行ったとき、その門構えにびっくりしたことを覚えている。わたしの家も古い平屋だけれど、それよりももっと古かった。そしていかめしかった。玄関にあるピンクのスリッパや、台所でつくるココアみたいなものの雰囲気が、漂っていなかったから。子どもながらに老舗の風格を感じ取って、どきどきしたのだと思う。