コーヒーのお代わりを頼むとカウンターの奥でグラスを磨きながら女性が「降ってきましたね」呟いた。「やっぱり天気予報はあてにならないですね」
いつの間にか東へ流れていた雲はどんよりと停滞して雨を降らせていた。
「天気予報は晴れるって言ってたんだけどなぁ」と僕は応じた。
「お客様はバックトゥザフューチャー2をご覧になられた事ありますか?」
「え?」唐突に彼女が何を言い出したのか判らないままに「えぇ、まぁ、ありますけど」と答えた。
「あの映画だと未来は天気予報がピタリと当たる世界だったんですけどね」
確かにそんな未来が描かれていたかもしれない。秒単位で雨が止むのも予測していた。
「そんなシーンありましたね」と僕は言った。
「でも、その未来も2015年だから、今からしたら過去の話ですけどね」と言って女性は笑った。「頑張れ気象庁」
雨の中、静かに佇む工場の姿はまるで本物のアメフラシのように見えた。
「工場までは行かれないんですか?」
「えぇ、ここから見るくらいが丁度いいです」と言って僕は笑った。
「そうですか」と女性も微笑んだ。
僕はひとつ気になっている事があった。
「あの……」と僕は女性に問いかけた。「さっきのロケット部品の話、一体誰から?」
女性の年齢は僕より若く見えた。そんな彼女が一体どこで務めていた僕ですら聞いたことのないNASAのロケット情報を知り得たのだろう。
「あぁ」と女性は頷いた。「実は此処のマスターからです」
「マスター?」
「私も詳しくは聞いてないんですけどマスターも昔あの工場に勤めていたんですって」
「え? このコーヒーを淹れてるマスター?」
「はい、そのコーヒーをブレンドしているマスターです」と言う女性の視線は僕の背後に向けられていた。「あの人です」
僕は少し緊張しながら振り返る。
そこにはコーヒーポットを持った三ツ矢さんが立っていた。
「あ」
僕は10年ぶりに声にならない声を出した。
三ツ矢さんはしばらく黙って立ち尽くしていた。
そして「何してるんだお前」と久しぶりの対面とは思えない軽さで僕を見て言った。そこに長年の空白はなかった。
「三ツ矢さん……」
次の言葉を探している僕のカップに三ツ矢さんはコーヒーを注いでくれた。
「お待たせしました、ブレンドのお代わりでございます」とわざとらしく畏まって言いながら三ツ矢さんは鼻で笑った。
「こ、このコーヒー最高です。まさか工場長が作っているなんて」と僕は言った。
「誰が工場長だ」
「あ、すいません、ま、マスター」
「なんだお前コーヒー好きなのか?」
「はい、時間があればあちこち飲み歩いてるんです」
互いに「久しぶり」の感傷的な一言もなくコーヒーの話が動き出してしまった事に違和感を感じつつも、僕の胸の内は喜びでいっぱいだった。ただそれをどう表に出せばいいのか判らなかった。
「そうか、好きか、じゃあこのブレンドなんだか判るか?」と三ツ矢さんは訊いた。
僕は淹れたてのコーヒーを口に含んで、これまでの知識を味覚に絡めてみた。
「キリマンジャロをベースにしているのは間違いないと思うんです、ただこのコクが何種類の配合なのか……」
「何種類だと思う?」
「3種類、いや、4種類かな?……もしかしたら5種類かも、違うかな6種類かな」
「お前当てる気ないだろ」