「ねーねーお母さん、お兄ちゃんにお礼にあのぬいぐるみあげるー」
「あら、いいの?欲しがってたやつじゃない」
「いいのー、また買ってもらうー」
「もう、仕方ないわねえ。というわけで、よろしければもらってあげてくれませんか。お礼というにはささやかですが」
「はいっ、お兄ちゃん。あげるー」
袋越しに渡されたのはどうやら犬っぽいゆるキャラのぬいぐるみのようだ。幼気な女の子が自分の欲しかったものをわざわざお礼にくれるのだ。断る義理はないだろう。……とはいえ、さすがにこの年にもなってゆるキャラのぬいぐるみをもらうのは気恥ずかしいものがあるが。
「ありがとう、大事にするよ」
「それでは、本当にありがとうございました」
親子は何度も頭を下げながらエレベーターへ向かっていった。さて、思わず見栄を張って部屋を譲ったものの、結局宿を取り直さなくてはならなくなってしまった。しかし、繁忙期でもないので、まだ急いで宿を取らなければならないということもないだろう。それに、せっかくホテルに入ったし、この中で軽く食べられるような場所でもあれば軽食でもつまんでおこう。
――辺りを見回すと、受付から左手側にバーが見えた。よし、あそこで軽く酒を一杯引っかけながらつまみでも食べよう。
バーの中は、一段照明を落としてシックな雰囲気を出しながらも、白を基調としたインテリアで暗くなりすぎず、入りやすい雰囲気だった。良いことをして気が大きくなっていっちょ前にバーに入ったはいいものの、さすがにバーに入ったのは初めてで思わず周りをきょろきょろ見回すなど、緊張を隠せなかった。店員に促されるままカウンターの席について、とりあえず目についたカクテルとミックスナッツを注文した。
しかし、成人しているとはいえ二十やそこらの年齢の若造が、しかも片手にゆるキャラのぬいぐるみの入った袋を提げて素人感丸出しで入るのはかなり滑稽な気もして恥ずかしくなってきた。まあ、こういうのも旅の醍醐味だ。旅の恥はかき捨てというし、いい経験ができたと思えばよい。
――ナッツを片手にカクテルを嗜んでいると、少し離れた席に座っていた初老の男性がふと、目に入った。パリッとしたグレーのスーツを着こなしていて、おしゃれな感じだ。ああいう洗練されたかっこいい大人に憧れる。
そんな風に見ていると、向こうもこちらの視線に気づいたのか、微笑みながら会釈をされたので、思わず会釈をし返した。すると、徐にその男性は立ち上がり、こちらの隣まで席を移した。
「先ほどの行動、恐れながら見させてもらっていたよ、実にかっこいい対応じゃないか」
「え、あ、ありがとうございます」
親子連れに部屋を譲ったのを目撃されたのか。見られていたと言われると少し誇らしいようでもあり気恥ずかしいようでもある気分だ。
「君は見たところかなり若いじゃないか。失礼だが、学生かな?」
「ええ、そうです。通っている大学が冬休みなので気ままに旅行しようかと」
「なるほど、その年でああいった行動ができるのは素晴らしい」
「いえ、それほでもないですよ。旅程が決まってなかっただけですし」