「なぁ青木、ホテルで働く人間にとって最も大切なものは何だろう?」
まっすぐな視線が私を射抜く。たった一か月の私には、答えが見つからない。
「人と人、その絆に行き着く気がします」私の言葉に、直哉の顔が崩れる。
「ありがとう。君を採用してよかった」桜貝を並べた直哉が、私の分も受け取る。
十五枚。形も色もほぼ一緒の貝が揃った。
「十五年前、君はまだ幼かったな。常彩で食中毒が起きた。寒ブリだった」
「父から、聞いたことはあります」
「俺も入社間もない頃で、大変な騒ぎだった。客数は一気に落ち込み、閑古鳥状態さ」
私は復活してからの常彩しか知らない。ここ十年は盛況を博している。
「どうやって、盛り返したんですか?」
「三上ご夫妻が、救ってくれたんだ」
遠くで流木に座る、か弱きご婦人を見つめる。とてもヒーローには見えなかった。
「昭和、平成と毎年ご利用いただいて。彼らはこのホテルを愛してくれていた。食中毒が起きてホテルが潰れかかった時も、来てくださってね。しょげ返るスタッフ達に、ご主人は怒った。しっかりしろって。事実を冷静に分析し包み隠さず公表して、反省し改善する。まずはそれをすべきだって」
直哉の話では実際にそうしたらしい。保健所の調査とは別に、先代の料理長がマスコミを集め食中毒の原因を詳細に発表した。そして改善策も。
「事実の公表や改善策はそれなりに評価された。けど客足は戻ってこない。その時も、三上さんがポロっとおっしゃった言葉にヒントを得た。『あなた方には桜がある』ってね」
お花見の時期、マスコミ、旅行会社、常連客、地元の人達を呼んでホテル中庭を開放した。そこで地元名産の寒ブリやのどぐろを振舞う。これが好評を得て、徐々に客足は戻っていったらしい。
「当時の総支配人が、三上ご夫妻に永久での無料宿泊を提案した。だがきっぱり断られたよ。勘違いしないでほしい。この桜、海、菜の花、そしてホテル従業員のサービスが好きでここへ泊っている。あなた方は、私達の寄る辺となってほしい。帰る場所を作ってくれればいいと。絆にも、ルールは必要だ。親しき仲にも礼儀ありとね」
それでか……。昨日、直哉は三上婦人に『おかえりなさい』と言った。
私も、これから重ねていく令和の時代で、そんな素晴らしいお客様と巡り合いたい。心からそう思えた。
桜貝をハンカチに包んだ直哉が立ち上がる。私もお尻の砂をはらって、三上婦人へと向かう直哉の背中を追った。