駅前のロータリーに停まる黄色いタクシーに乗車すると「ポワン・ドゥ ・ランコントルというホテルまで」と雄太が舌を噛みそうになりながら行き先を告げた。
「旅行ですか?」と薄くなった白髪の運転手が尋ねる。
「ええ、一泊二日で」
「あのホテルは料理が美味しいそうですよ、ゆっくりと海の幸を堪能してって下さい」
バックミラーに映る運転手の目尻には、深いしわが浮かび上がった。見るからに優しい雰囲気が伝わる。
「今は何が美味しいですか?」
翔子が後部座席から少し身を乗り出した。
「そうですねぇ……岩牡蠣にホタテ、鯛に蛸なんかも美味しいですかね。あと、アワビにウニなんかもありますよ」
「普段は食べない高級なのばっかり」
「こら、翔太、そんなことないでしょ」
「事実だからしょうがないよな、翔太」
助手席に座る雄太が振り返って笑った。
タクシーは海沿いの道を行く。水平線に浮かぶ遥か遠くに見える小さな船は、きっとビルくらいの大きさであろう。しかし、それをまるで木の葉のように浮かべてしまう海の大きさに、翔太は改めて感動した。
ホテルまでは十分ほどで到着した。翔太は頭で『ホテル』とは理解していたが、海の幸という響きから昔ながらの旅館の佇まいをイメージしていた。しかし、その外観はブラウンを基調としたシックで洗練された都会的なデザインで、だからといって決して海辺にある小さな街と自然の趣を壊さないものでもあった。
岬の先端、小高い丘の上に建つホテルの周囲は木々に覆われ、蝉の大合唱が響き渡る。ここからは視界を木々に遮られて海を見ることができないが、きっと客室からは大パノラマが広がるに違いないだろう。家族三人そんな期待を抱きながら、一刻も早いチェックインを望んでいた。
「相原様ですね、お待ちしておりました」
フロントでは髪を七三分けにした男性が一家を出迎えた。三十代半ばの年齢であろう。笑顔が爽やかな男性は、雄太とはまるで対照的な雰囲気である。
「お部屋は三階の三〇五号室でございます。夕食は一階のレストランにて炉端焼きをお楽しみ下さいませ」
穏やかで丁寧な口調である。それは翔太にとってこれまでに関わったことのない部類の大人だった。
エレベーター内には、ほのかに甘い香りが漂っていた。嫌みのない気持ちを落ち着かせてくれるような香りだ。
「いい匂いするなぁ」と鼻をズッズッと鳴らして香りを吸い込む雄太に翔太が笑う。
「父さんには場違いだね」
「何を言ってるんだ、こうゆう所は慣れたもんだ」と雄太はボタンダウンのシャツの襟を正した。
そうしている間にエレベーターは三階に到着した。ドアが開くと目の前の部屋が三〇五号室だった。翔太は「僕が開ける」と雄太からルームカードを受け取ると、ドア横の挿入口に差し込んだ。