その時は学校から遠くない青年会館での課外活動だった。付近企業案内を見るのもその一環。
掲示板の展示物を流し見ていて、一枚の地域新聞が目に留まる。“地元の偉人紹介”、そんな様な事業者代表の方々の紹介記事だった。
本当に偶然だ。ふっとその記事の見出しが目に入ったんだ。
“技研株式会社 代表取締役 河村正浩”
思わずあっと言ってしまった。
記事の写真には笑顔の高齢の男性の姿。でもこの人が先生の言っていた人だとは限らない。同姓同名かも。しかし先生は正浩さんが今どうしているかは知らないと言っていた。じっと記事の内容を読み進める。
――私にとって四郎さんは親以上と言える恩人でした。今の会社の理念、精神は四郎さんの理想そのものです。私はこれを受け継ぎ、これからの若い世代に受け渡していくのが恩返しだと思い事業に満身してきました。
もう間違いない。先生の言っていた正浩さんだ。本当にこんな偶然はあるんだと思った。
そして思い出す。ぐっと心中にあって燻っていた何かが湧き出る感覚と共に。
それは先生が聞かせてくれた父親の、そう四郎さんの話だ。
それは先生の進学塾で生徒向けに贈られる動画の一つ。元気づける、または声援を送るのが目的の動画が多いが、先生は自分の父親の話を動画にしたのだ。
動画と言ってもテロップのみの内容だった。
動画の最初は見て気分を悪くしたらゴメンなさいの理から始まった。
「――四郎さんのお宅でしょうか? 私は○○警察の者です。四郎さんがお亡くなりになりました。ご説明差し上げたいので此方まで起こし願いますか」
自宅に掛かってきた警察署からの電話。それで父親の自殺を知ったらしい。
先生は大学生。アルバイトで家庭教師を始めて教育に対して面白みを感じた時期だったそうだ。
茫然自失で母親と一緒に警察に行き説明を受け遺体を引き取る。
何も考えられない中、次の日になって数冊の大学ノートと四郎さんからの遺書が届いたそうです。
「――紀子へ。
余り良い夫ではなかった、長いこと色々大変だったろう。
今更の労いの言葉など役立たずだが、大変な事を委ねざるおえない。
一億の保険金に別帳の記載通りでも女手では大変だ。皆の助力を得よ。
何人も恨むな。恨んでは仕事にならぬ。だが銀行の言いなりは避けよ。最良は長く続かず行き詰まりを早くする。
死して拗れた関係を清算す。何と知恵のない事。だが急がねば。早まりだとしても私の勘を信じる。
生者必滅の一瞬。見渡しいる人々への脅威を排除する事も意味あると考えた。
……だが私はやはり見栄っ張りだ。