彼は立ち上がり、勘定をすませ、家に戻るとすぐに車でノースポートに向かった。この高揚感は何年ぶりだろう、と彼は思った。仕事の勘が蘇り、ジャック・ハウエル、ここにあり、という感じだった。彼は口笛を吹き、ノースポートに着くまで自分でも驚くほど機嫌がよかった。
そのスープを出す家とやらはどこにあるのか、インターネットで検索してみたが見つからなかった。ジャックは、人に尋ねながら探すことにした。
そして、どうやらそれはヴァンダービルト美術館の近くらしいということがわかった。彼はわくわくしながら、スープの家を探した。まるで、子供が宝探しをしている時のような気分だった。なかなか見つからないことすら彼には楽しかった。
やがて、その小さなスープの家を見つけた時は、宝探しの子供がついに宝を見つけた瞬間のように彼は達成感を覚え、思わず、やった!と小さくつぶやいた。
その家は、白い木造建てのこじんまりとした家で、クラシカルな字体で「メアリ&ローズのスープの家」と書かれた看板がかかっていた。
とうに昼どきを過ぎていたので、中に入ってみると、客は見当たらなかった。外観だけでなく、内装も白い色彩だった。壁もカーテンもテーブルも椅子も白い。
しかし、テーブルに飾られた色とりどりの花は明るく美しかった。
ジャックがその空間を眺めていると、キッチンの奥から一人の女性が出てきた。
紛れもなく、マダム・メアリだと彼は確信した。
「初めていらっしゃったのですか」メアリはにこやかにジャックに声をかけた。
「ええ。実は、わたしはちょっと新聞に記事を書いているんですがね、このスープの家の話を聞いたものですから、書かせていただけないかと思いまして」
彼はマダム・メアリに名刺を差し出した。
「ジャック・ハウエルと申します」
「わたしはメアリ・ホワイト。ハウエルさんは何が書きたいのかしら」
メアリの目が眼鏡の奥できらりと輝いたようにジャックは感じた。
少なくとも今のところ、マダム・メアリは頭がおかしくはみえなかった。老婦人ながらもメアリの表情は子供のように純粋な明るさがあり、好奇心に満ちたその目はジャックを惹きつけた。これは面白い話が聞ける、と彼は直感でわかった。
「そうですね。わたしは美味しいとか健康にいいとかいう食べ物には興味がないのでね、メアリとローズのスープの由来について話を聞きたいんです」
メアリはそれを聞くと、ほほほっと笑い、
「まあ、そんなことに興味がおありですの?少し長いお話ですけれど、ハウエルさんは聞いてくださるの?」と言った。
「ええ、ぜひ聞かせてください」
メアリは白い椅子に座り、ジャックにも椅子を勧めると、ゆっくりとした口調で語り始めた。
「実は、ローズというのはわたしの母の名前なんですのよ。彼女はローズ・ホワイトといって、若い頃から色白の美人で、男の方にずいぶんと言い寄られたんだそうです。その中で、彼女、ええ、わたしの母ですけれどもね、彼女を射止めた
のは船乗り、大型船の船長さんでした。二人は恋に落ちて結婚し、わたしが生まれました。ところが、船長のショーン・ホワイト、わたしの父ですが、彼は1年に数回しか帰って来ないのです。ずっと船の上ですからね。ローズの話によれば、ショーンは港に必ず女ができて、女性には不自由しなかったらしいんですが、ある時、一通の手紙が来て、ある港で知り合った女のもとで暮らすから、もう帰らない、と書いてあったんだそうです。それなりにお金も送金してくれたらしいのですが、それっきりでした。ローズはとても明るく強い性格で、わたしには愛情溢れる母でした。ですからそんな手紙が来てもくよくよせずに、いつもと同じように朗らかでした。そして、お針子をしながら、わたしをちゃんと育ててくれました。わたしが13歳になった頃でした。ある日、母は大事なシャンパングラスをうっかり落として割ってしまいました。それは、ショーンが初めてローズに贈ったシャンパングラスでした。ローズの目からはらはらと涙がこぼれ落ちたのをわたしは今でも覚えています。初めて見た母の涙でしたから。