今日もきっかり朝6時に目覚まし時計が鳴った。
ジャック・ハウエルはいつもと同じように目覚め、時計をちらりと見て手を伸ばし、うるさく鳴り続ける音を止めた。朝の身支度を済ませると、ドリップ式のコーヒーを淹れ、新聞を読みながら、パンをかじった。
彼はこの15年、ずっと週に一度、B・Cタイムズ紙にコラムを書いていた。都会の街の片隅に埋もれているような人々のところに行っては取材をし、彼らのささやかな日常を拾い上げ、彼独特の切り口で書き綴っていく。彼はこの仕事が気に入っていた。しかし、15年も経つと、次第に彼はこの仕事が重荷になり始めていた。どんなに面白いと思った仕事でも、やがて、それが、面白いものを提供せねばならないという重圧に変化していく。実際、今の彼には、面白いと思える題材がほとんどなかった。
彼はふうとため息をついた。コラムの締め切りはいつも容赦無く、彼の気分も体調も無視して彼に迫る。
今朝のジャック・ハウエルに、今日はなにがなんでもパソコンを開きたくないという強烈な想いがこみ上げた。
彼はスケジュールを調べ、今日の予定をことごとく、キャンセルした。そして、2杯目のコーヒーを飲むために街へ出た。
行きつけのカフェで、彼はテラス席に座り、ここで3杯目のコーヒーを注文した。街路樹の木々には新緑の燃えるような勢いがあり、木々を渡る風は心地よかった。しかし、彼の心を覆っていたのはわずかな苛立ちと疲労感だった。
3杯目のコーヒーが運ばれてきた。一杯目に比べて、もうあまり美味しく感じられなかったが、彼は他にすることもないというようにコーヒーをすすった。
その時、隣の席の女性たちの会話が聞こえてきた。
「あなた、知ってる?ノースポートにあるメアリ&ローズのスープの家」
「知らないわ。そこのスープ美味しいの?」
「そうなの。美味しいだけじゃないのよ。そこのホワイト・スープ、健康によくてね、評判なのよ」
「へえ、どんな材料を使っているの?」
「それがね、材料はどうってことないのよ。白いカブとカリフラワーとジャガイモと白ネギ、それにベーコンかな。白いきのこも入っていて、やさしい味のスープなのよ」
「へえ、味わってみたいわ」
「それがね、そこのスープを飲むとね、なぜかとても明るい気持ちになったり、幸せな気持ちになったりするものだから、みんながレシピを教えて欲しいって言うんだけど、そこの女主人は、あ、名前はメアリっていうんだけどね、彼女は、味付けはローズの涙ですって言って、笑うんだって」
「え、ローズって薔薇の花のローズ?どういうこと?スープに薔薇の花なんて、なんだかロマンチックだわ」
「それがね、どうもローズはメアリのお母さんの名前らしいのよ。意味がわからないでしょ?どうも、マダム・メアリは頭が少しおかしいんじゃないかって話なんだけれど」
ジャックは、面白いと思った。久しぶりにわくわくした。面白い話をし始めるのは、たいていこのような少し歳のいったご婦人方であることを、彼は経験上知っていた。彼が面白いと思ったのは、健康に良くて美味しい評判の店のスープではない。第一、彼は今はやりの健康的な食事や食材や食品には全く興味がなかった。むしろ、そういう健康情報を食しているような都会のおしゃれな人々を腹立たしくさえ感じていた。彼が興味を持ったのは、薔薇の花だの気持ちが明るくなるだのという、女たちの視点でもなかった。彼が惹かれてやまないのは、頭がおかしいらしいメアリという女主人、その一点だけだった。