「すみません」いきなり、先ほどまでタクシー運転手が座っていた席についた男に声をかけられた。山下よりも5つほど年齢が若そうだ。「その飲み物、なんですか?」
「え?」
「その飲み物、なんか浮いているじゃないですか」
「ああ、ブラックペッパーのレモンサワーです。うまいですよ」
ブラックペッパーかあ、と言いながら、メニューを一通り眺めたその男はコークハイを頼んだ。
「すみません、ブラックペッパーだめなんです」
男は気まずそうに笑った。その言葉に嘘はなさそうだったので、山下は特に気にすることもなく会釈した。
「良く来られるんですか? 僕、ここ初めてでして。なにか食べておいた方がいいものありますか?」
これには山下も困った。
「すみません、僕も初めてで。ただ、金針菜が美味しいらしいですよ」
この金針菜、と言うときに、山下の目はキッとオヤジの方を睨んでいた。なるほど、と言いながら男はメニューに目を落として、数分悩んでから適当にオヤジに注文をする。もちろん、金針菜は注文にはいっていなかった。
「金針菜って、何かよくわからなくって。すみません」
なんだこいつは、とイラつきを覚えると同時に、思わず笑いがこみ上げてきた。ずいぶん失礼なやつだけど、いやな気持ちがするわけではない。山下の左爪は、相変わらず腿のうえで踊っていた。
「面白いひとですね」
「どうしてですか?」男は目を丸くして驚いていた。そんなことを言われるのは初めてなのか、もしくは山下以外の多くの人からも言われ続けてきたからなのかはわからない。「すみません、失礼なことしましたか?」
「いえ、そういうわけではないですよ」
注文してすぐに出されたコークハイのジョッキを、男は申し訳なさそうに山下に向けて小さく持ち上げた。山下もそれに呼応するように、自分が持っていたジョッキを少しだけ男の方へ傾けた。
「あの、勘違いだったら申し訳ないんですが」一口、二口ぐびっとやってから男は恐る恐る口を開いた。「菱井物産の村山さんじゃないでしょうか?」
「いえ、違いますよ」
「そうですか。それじゃ、YAMADAの光岡さん?」
「誰ですか、それ」
山下は眉をひそめてはいたが、なるべく相手に嫌な想いをさせないように心がけているのか、言い終わった後にニコリと男に向かって歯を見せる。
「そうでしたか、すみません。この二人をずっと探していて。いろんな人に聞いているんです」
「名前は知っているのに、顔は知らないんですか。会ったことないんですか?」
「ええ、僕は」
山下には、そう言って飲み物をすする男の顔が、何か物欲しげに見えた。あまり興味が湧いているわけではなかったが、仕方なしに「僕は、というのは?」と聞いた。
「そのままの通りです。僕は会ったことがない、ですが、誰かは会ったことがあるということです」
「それはそうだけど… どうして探しているんですか?」