鏡の前の私の顔はキョトンとしていた。彼女は少しいたずらっぽい微笑みを浮かべたように見えた。
「いつもはワックスにしてますが、構いませんか?」
あ、整髪剤のことなのか。
「ワックスでお願いします」
微調整を終えた彼女は、鏡を持ち、私の後頭部を見せた。いつものできばえだ。
「こんな感じになりますが、いかがでしょうか? 前回と伸びた分くらい、お切りしてございます」
私は、前の鏡に写る自分の後頭部より彼女の笑顔を見ていた。髪型いつもと変わりはないが、私の美容室で過ごすスタイルは全く異なるものとなっていた。
「ありがとうございます。大丈夫です」
いや、大丈夫ではないのだ。映画の話しの続きを聞いていない、それと、最も肝心なのは次回来た時に、私はどのように振る舞うか、なのだ。映画の話しの続きはしてもよい。ただ、その話しは終われば、私はまた、いつもと同じスタイルに戻り、再び目を閉じることになる。ならば、初めからやはり目を閉じていようか……。新たな問題が持ち上がった。
彼女は私を覆うカバーを取り、椅子を会計の方にくるりと回した。私は立ち上がり、いつもどおりに会計を済ませて美容室を出た。
それから六週間経った。私は決まった間隔で髪の毛をカットすることにしている。予約の電話を入れる時に、店側は指名する美容師の名前を聞くが、前回と同じ方で、と必ず答える。これは仕方がない。私は他にどんな方がいるか知らないのだ。
今回は体調は万全に整えていた。前日の仕事は定時に帰宅し、早めに就寝した。睡眠もたっぷり取り、美容室の前の予定はなし。念のため、近くのコンビニでコーヒーを買い、車の中で飲んだ。美容室は駅前近くにある。これ以上はないというほどの万全の体調で美容室の自動ドアを開けた。
「いらっしゃいませー」
スタッフが笑顔で出迎えた。さて、今日はどうする? 私は迷いに迷っていた。いつものように目を閉じるか、それとも映画の話しの続きをするか……。ただ映画の話しは六週間経ち、すでに風化してしまった感がある。ここは相手の出方を見るしかない。
私が席に着くと、彼女がやってきた。
「いらっしゃいませ。今日はどのように?」
「いつものように」
「はい。暑くなってきましたから、少しだけ短めにカットいたしましょうか?」
「そうですね。それでお願いします」
「それではシャンプー台の方に」
そう、いつもなら、これで終わる。いつもなら……。
シャンプー台に寝かされ、顔にフェイスタオルが置かれる。目を閉じる。やはり今日は瞑想するか……。
そう思った時だ。
「今日もお疲れでいらっしゃいますか?」
フェイスタオルで口が塞がれているが、また条件反射的に言葉が出た。
「いえ、全然」
「前回いらした時は、入店された時からお疲れが見えてました」
「実は、前回はここの前に映画を観て来たもので」
「あ、お客様も映画がお好きでいらっしゃるんですねー」
「え、まぁ」
マズイ……。これは瞑想どころではない。
「どこか痒いところはございますか?」